(24)映画『大地の侍』と澤井兄弟
[2022/2/10]

◆『大地の侍』
『朝日新聞』の2月5日土曜日朝刊の別刷beでは、連載中の〈はじまりを歩く〉が見開き2ページにわたって掲載されていた。今回は「北海道の開拓移住(北海道当別町)」である。戊辰戦争に敗れた仙台藩の支藩・岩出山(いわでやま)藩主の伊達邦直(だて・くになお)が500人を超える旧家臣のうち181人を率いて石狩川河口近くに入植する。しかし、そこは不毛の地とわかり、第2陣の169人も合流して、肥沃の地トウベツへ移る。時は1870年(明治4)のことであった。
この岩出山の主従の苦闘の記録を描いたのが、本庄陸男(ほんじょう・むつお1905~39)の長編小説『石狩川』(1938~39)である。この『石狩川』は発表当時から映画化の動きがあったが、実現しなかった。戦後、東映東京撮影所(大泉)で現代劇の『大地の侍』(白黒、66分)として初めて映画化された。監督は佐伯清である。この映画に村山新治(1922~2021)はチーフ助監督として参加している。封切は1956年(昭和31)2月29日だ。このあたりのことは『村山新治、上野発五時三五分』(新宿書房、2018)に詳しい(p 134~)。


『大地の侍』北海道ロケ。1955年(昭和30)12月。
『村山新治、上野発五時三五分』p 142より

この映画にはフォース助監督として、佐伯孚治(たかはる1927~2018)も参加している。『新宿書房往来記』の「村山新治と佐伯孚治」(p200~)を読むとふたりの関係がわかる。そしてこの『大地の侍』には、前回コラム(23)で紹介した、小林寛(1932~2010)も出演している。小林についてはあらためて「俎板橋だより」の(116)も参照してほしい。
先の朝日の記事に戻ると、行方不明となっていた映画『大地の侍』のフィルムを探し出し、東映と交渉しDVD化を実現し、いま道内で開拓の歴史を知る上映セミナーを開いている人たちがいることがわかる。
https://www.maff.go.jp/hokkaido/photo_repo/220112.html
https://www.town.tobetsu.hokkaido.jp/uploaded/attachment/3580.pdf

   
『大地の侍』のポスター、チラシ

◆澤井余志郎と澤井信一郎
前回のコラムで紹介した『映画芸術』最新号478号。同号の特集は毎年恒例の【日本映画ベスト&ワースト】の2021年版で、評論家など30名が本音でランキングしている。そして総力特集は2021年9月3日に亡くなった映画監督・澤井信一郎さんへの追悼「澤井信一郎の軌跡 その映画術と人間術」だ。これは同誌477号の追悼第1弾に続くものだ。『映画の呼吸 澤井信一郎の監督作法』(ワイズ出版、2006年)の取材・インタビュー・構成をしたデザイナーの鈴木一誌(ひとし)さんをはじめ、18人の方が寄稿している。澤井監督夫人の郷子さんも「気を遣いましたが、楽な人でした」と題する文を寄せている。この郷子さんが、先の鈴木さんの文章から、夫・信一郎さんの死からわずか3ヵ月後の2021年12月18日に亡くなっていることを知り、大いに驚かされる。
澤井信一郎さんには『村山新治、上野発五時三五分』の誕生までにずいぶんお世話になっている。この本は、『映画芸術』誌が1999年におこなった村山新治の原稿(「その時代、その映画」)をめぐる解説座談会(出席=村山新治、深作欣二、澤井信一郎、荒井晴彦)から生まれたのだ(『新宿書房往来記』p 196~「映画四兄弟」)。
さて、追悼文の中で注目したのが、「浜松北高校と東京外語大学の澤井」(大谷達之、同窓生)と「澤井兄弟と四日市」(林久登、シネマ游人)だ。
まず、大谷の文章ではこんな表現があった。「彼が20年間ぐらい助監督をやっていたというのも、ある意味で生計の浮き沈みのないところでやっていたんだと思います。」確かに、監督昇進ということは、非社員になることであり、フリーになるということである。監督昇進まで苦節20年などという表現では語れない人生がある。生活のために監督昇進を断っている人もいた、のである。
そして、「澤井兄弟と四日市」。ここで正直にいうと、私は澤井余志郎(1928~2015)と澤井信一郎(1938~2021)、このふたりに対してそれぞれ多少の知識があったにもかかわらず、実の兄弟であることを知らなかったのだ。ほんとうに不勉強だった。
余志郎は浜松の高校を卒業後、四日市市の紡績工場に勤務し、女子工員のサークル活動を組織し、「生活を記録する会」を通して、ここを訪れた鶴見和子ら知識人と出会う。1960年代になると四日市の反公害運動に参加、公害を記録する会をはじめる。著書には『くさい魚とぜんそくの証文―公害四日市の記録文集』(はる書房、1984)や『ガリ切りの記―生活記録運動と四日市公害』(影書房、2012)がある。
追悼特集の最後にあるのが、富田偉津男(澤井信一郎実兄)と澤井浩司(澤井信一郎実弟)へのインタビュー(聞き手=荒井晴彦)の「信治と余志郎、この二人が澤井家を代表します」だ。信治とは信一郎の実名である。