(97)更にさらに追補『キャメラを持った男たちー関東大震災を撮る』映画評特集
[2023/10/2]

映画評18
私のひいひいおじいさんは「他の人と同じ方向に逃げたら死んでしまう。反対方向に逃げよう。」と行動したおかげで火災旋風にあうことなく逃げ延びることができたらしい。そんな大震災直後に10キロ以上もあるカメラと巨大な三脚をかかえ、だれもが必死に生きのびようとごった返すなか、人混みをかき分け映像を残したキャメラマンがいたのだから驚くばかりです。
そのキャメラマンとフィルムに焦点をあてた本作は、当時のキャメラマンの人物像や状況、フィルムから場所や日時の特定、当時映っていた人の証言やその後から関東大震災をより立体的なものとして見せてくれました。そして映像に残っていないことにも事実はあるという感じで流れる朝鮮人犠牲者追悼式に考えさせられました。
九州育ちの私にとってどこか遠くの話であった関東大震災、これを学び直す機会を与えていただきありがとうございます。
(印刷屋・こうせい)

映画評19
関東大震災を撮ったキャメラが見つかった。フィルムの規格は今も変わっていないーー。三人の撮影者を追った映画は、そんなフレーズではじまる。東大記録映画アーカイブ・プロジェクトでの試写、後に上映館でも鑑賞。再度観た事で、当初の印象よりもずっと複雑な構成であることに気付く。一連の流れの中に、多種の要素が織り込まれているように思う。
撮影者の肉声を含む前半の多彩な膨らみから、後半は、現存資料の乏しい撮影者の足取りを研究者によるフィルムの検証で辿っていく。ネガ反転することで、わずかな手がかりから場所を特定していく場面が印象に残る。
撮影時の緊迫した状況とは一転、切り刻まれ、消費され、文部省の買い上げに転用されるフィルムたち。アップグレードされた<関東大震災映像デジタルアーカイブ>では、種々の貴重な映像と共に、本映画に登場するフィルムの断片を確認できることを知った。様々に組み立てられた映像をオーバーラップして、何かしら複雑な感覚を覚える。映ったもの、映らなかったものを載せた実在の記録であるフィルムが、断片化され、物語に組み込まれ、多大な視覚的強度で見るものに伝わる様を想像する。
本映画でクルーは、当時の重いカメラを抱えて、実際の撮影ルートを歩いてみたという。現実の場所、時間、技術、レンズを介した人々と切り離せないカメラの実在性・身体性が、受容の危うさ、あるいは現代におけるアーカイブの諸相と共に、提示されていたかのように思う。
(東京郊外在住・i)

映画評20
『キャメラを持った男たちー関東大震災を撮る』『福田村事件』を視聴して 小学校入学以来、「防災の日」は、授業に公然と「邪魔」が入って校庭へ移動するという和やかで少し浮き立つような行事。けれども、生々しい映像はまごうかたなき真実を語り、一人一人の生と死が映し出されているのでした。カメラマンの執念です。
そして、「間違えちゃった、すみません」、間違わなければいいのか、という福田村事件。混乱に乗じて権力者が都合の悪いものを始末していく。権力者に従っただけだとの言い草、生身の人間につけられた序列、踏み躙られる人としての尊厳。機会さえあれば、何度でも繰り返されるでしょう。人ごとではない罪の重さを突きつけられます。
記録が残っていないからといって、出来事がなかったとはいえない。「万葉集に臍という語が出てこないからといって、万葉の時代に臍がなかったわけではない」。埋もれた記録を掘り起こしていく地道な働きに敬意を表します。
(大学非常勤講師・糸川優)

映画評21
『キャメラを持った男たち―関東大震災を撮る―』アフタートーク
  2023年10月1日 「ポレポレ東中野」上映後

司会:本作のポスター・パンフの制作を担当した、書籍編集者の村山恒夫です。本日のゲストは阪本良(さかもと・りょう)さんです。阪本さんは夕刊紙『東京スポーツ』の映画担当記者を経て文化社会部長を長く務められた後、現在はWebマガジン『PlusαToday』(プラス・アルファ・トゥディ)を主宰、連日、文化・映画・芸能のニュースを発信されています。
阪本さん、まず本作の感想をお聞かせください。

「関東大震災から100年という節目で、テレビや新聞などでいろいろ特集されていましたが、その流れをリードするようなドキュメント映画だと思いました。3人のカメラマンがとった映像は当時の惨状が手に取るようにわかり、とにかく貴重な資料、それを発掘して映画にした。そして3人のカメラマンが当時の映画界の中でとても優秀な撮影技師で意識の高い人だったというのが伝わってきました。3人とも手回しの撮影機と三脚を持って、歩いて現場に駆けつけるという、今では考えられない制約の中で撮っている。と言っても当時は最先端の技術だったわけです。」
「「こんな時に撮影してんのかよ!」といわれて殴られたりしたこともあったということですが、3人にとって「こんな時だからこそ撮らなければ」という気持ちだったと思います。」
「高坂利光さんは、溝口健二監督の撮影監督を担当するような人で、日活向島撮影所で劇映画を撮影していた時に、カメラと三脚をもって飛び出していった。」
「ドキュメント映画を手掛ける白井茂さんは埼玉で「清水の次郎長」を撮っていた時に地震があって「清水の次郎長どころじゃない」と仕事を中断、ようやく上京、翌日2日に現場に駆けつけている。
「同じくドキュメンタリー映画を手掛ける岩岡巽さんは自分の会社があった根岸から撮影を開始した。」
「また3人とも若かったということもあるでしょう。岩岡さんが30か29歳、高坂さんは19歳。白井さんも24歳。馬力もあったし、映画カメラマンとしてのプロ意識、モチベーションも高かったのではないでしょうか。」

司会:残っていたフィルムは、白黒で音もない(サイレント)ですね。

「当時、テレビはもちろん、ラジオもない。なんとラジオが始まったのは関東大震災2年後の1925年です。ニュースは新聞で、映像はニュース映画やドキュメントしかなかった。それぐらい映画の撮影技師の使命は大きかったので、自分たちが記録しないという思いが特に強かったんだと思います」

司会 阪本さんは、白井茂さんの息子さんに会っているとか。

「白井さんの息子・泰二さんは元日本映画新社の社長で、スポーツ新聞の文化社会部の映画担当記者をやっていた時に東宝の宣伝部でよく見かけまして、高倉健さんの『海峡』(東宝、1982)の宣伝プロデューサーにクレジットされていました。白井茂さんの息子さんだったというのは、この映画で初めて知って驚きました。」
「4万人が避難していた被服廠跡では、台風の影響で風が強く火災旋風が起きて、実に3万8000人が死亡した。白井茂さんはここに来て、そこにいた警察官に撮影していいかと聞いたら、警官はいいですといいながらも死体の山は撮らないでと、あれは私の家族ですといわれる。しかし撮っていますよね。あの映像があるから大惨事の実態がわかる。これもさすがだなと思います。」
「白井さんが小学校の時に父親の茂さんの撮影現場についていった時のエピソードで、米軍のB29が墜落して米軍兵の遺体に見物人が坊や蹴っ飛ばせといわれ、父親を見たら首を横に振っていたという。そうしたところにも当時の戦時一色の世相に流されない矜恃を持ちますか、意識の高い人だったことをうかがわせる話で印象的でした。」

司会 阪本さんは劇映画『福田村事件』もご覧になっていいます。いかがでしたか?

「朝鮮人が井戸に毒を入れた」とか「朝鮮人が略奪や放火をしている」というデマが流れて、在郷軍人や村人が自警団を結成して竹やりや銃をもって朝鮮人を虐殺したりしたわけです。数千人が犠牲になったといわれています。」
「企画は『火口のふたり』につづく監督作品の最新作『花腐し』が11月10日に公開される荒井晴彦さんで、本作の脚本にも参加しています。監督はオウム真理教を題材にした『A』、続編の『A2』とか、『東京新聞』の望月衣塑子記者の取材活動を追跡した『i-新聞記者ドキュメント-』などのドキュメンタリーを撮っている森達也監督です。これは実話に基づいた劇映画です。」
「大震災の5日後の9月6日に千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)で香川県からやって被差別部落民の人たちの薬売りの行商の一行が、朝鮮人と間違われて15人のうち9人が自警団を先頭にした100人以上の村人に殺害された事件を題材にした劇映画ですが、史実にかなり忠実に映画化したということです。」
「東出昌大(まさひろ)さんとか井浦新さんとか、田中麗奈さん、行商人のリーダーに永山瑛太さん、在郷軍人に水道橋博士さん、新聞社の編集長にピエール瀧さんとか役者さんも豪華で、大震災時の朝鮮人虐殺の問題を改めて問いかけるし、エンターテインメントとしてもとても見ごたえのある映画になっています。」
「東出さん演じる村の渡しの船頭や、朝鮮での日本兵の虐殺を見て帰国した井浦さん演じる教師と田中麗奈さん演じるその妻たちの一部の良識派は、朝鮮人と決めつけるのは間違いだと反対するんですが、多勢に無勢で、集団ヒステリー状態の村人は集団で襲撃するのです。」

司会 映画『福田村事件』の原作本は、野田市の隣の流山市に住む、辻野弥生さんが、埋もれていた福田村事件を発掘し、2013年に初めて本にしたものです。今回、新版が出ました。その中で。辻野さんは自分の本にはない、自分では書かなかった、殺された行商の親方が映画の中で吐いたあるセリフを紹介しています。


『福田村事件』(五月書房新社、2023)


『福田村事件』(崙書房出版・ふるさと文庫、2013)

「朝鮮人なら殺してええんか!永山瑛太さんのセリフですね。迫力があるシーンでした。」
「朝鮮人虐殺の背景には1910年に日本が韓国を併合して、韓国では抗日武装闘争があったりして朝鮮人に対する差別意識や敵視が醸し出されていた。マスコミも「不逞鮮人」という侮蔑的表現を使って「不逞鮮人各所に放火」「不逞鮮人一千名と横浜で戦闘開始」などと流言飛語を鵜呑みにして報道していた。」
「映画では木竜麻生(きりゅう・まい)さん演じる地元千葉県の新聞記者が、そうした状況に疑問を投げかけ、ピエール瀧さん演じる編集長と対立シーンもありました。」
「TBSの『報道特集』(9月9日放送)でこの問題を特集していましたが、朝鮮人に対する怒りをあおるようなデマをなぜ新聞はそのまま伝えたのかについて、防衛省に保管されていた内務省の文書を取り上げていました。」
「震災時の至急電文で「朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内において爆弾を所持し、石油を注いで放火するものあり、鮮人に対しては厳密なる取り締まりを加えられたし」という内容で、内務省警保局長名で、今でいうと警察庁長官にあたるという。震災の被害を免れた海軍の船橋無線電信局から全国に送信されたということです。」
「この問題は今も続いていて、墨田区の横綱町公園にある「東京都慰霊堂」では、毎年9月1日に慰霊の大法要が行われていますが、その横の広場にある「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」の前で、50年続けられたもう一つの式典、デマによって虐殺された朝鮮人を追悼する「関東大震災 朝鮮人犠牲者追悼式典」が行われています。『キャメラを持った男たち』では、その光景が静かに描かれています。」
「そうした諸々の状況があるだけに、「『キャメラを持った男たち』と『福田村事件』が問いかけているものは大きいと思います。」

司会 阪本さん、本日はありがとうございました。