(28)ガリ版文化研究に半生を捧げた志村章子さん
[2022/3/12]

志村章子(しむら・しょうこ1939~2022)さんが1月26日に亡くなっていた。昨日(3月8日)のこと、田村紀雄さんが送ってくれた研究論文の抜き刷りの中に挟まれていた一筆箋でそれを知った。志村さんとは、このコロナ禍もあって、ずっとご無沙汰していた。調べてみると、印刷業界の新聞では、既に2月2日に報じられていた。
志村さんが残した大きな仕事は、民衆の印刷道具として使われてきたガリ版(謄写版、孔版)の歴史を掘り起こし、関係者への聞き取りを通して、この「手づくりメディアの百年の物語」を紡いできたことにある。『新宿書房往来記』(港の人)では、「自前のメディアをもとめて 明治両毛の山鳴りから」と「ガリ版印刷の歴史・文化を刻む」の項で志村さんの仕事を紹介している。
志村さんはガリ版の「語りつがれる歴史」をまとめたルポルタージュを、3冊の本にして残した。
『ガリ版文化史』(田村紀雄との共編著、新宿書房、1985)
『ガリ版文化を歩く』(新宿書房、1995)
『ガリ版ものがたり』(大修館書店、2012)


『ガリ版文化を歩く』(装丁=冬澤未都彦)のカバー・本表紙(文字・イラスト)・本扉(イラスト)・奥付(文字)は、いずれも冬澤未都彦のガリグラフィ。冬澤さんは、カリグラフィ(書き文字)とガリ版の語を合成して“ガリグラフィ”と名づけた。

志村さんは、およそ30年間にわたる研究・聞き書き・資料収集によって、日本の「ガリ版文化」の裾野を広く照らし出すことに成功している。各書の巻末に収められている「ガリ版印刷文化年表」の内容は、各巻のたびに進化しているのがわかる。
志村さんのガリ版文化へのもうひとつの大きな仕事は、1994年9月から始めた「ガリ版ネットワーク」の設立と運営である。事務局は自宅。ここでは、「不用な謄写機材を集め、必要とする人びとに手渡す」「ガリ版史資料の収集・保管」「ガリ版関連情報の収集・発信のセンター」「全国各地のガリ版関連資料館との交流・協力」などを目指していた。謄写版の生産は1987年に、原紙(鉄筆原紙)の生産も1989年に中止となっていた。
「ガリ版ネットワーク」のことは以下のサイトを見ると、その活動歴を知ることができる。
https://www.showa-corp.jp/toshakan/garinet/garinet.html
https://www.showa-corp.jp/toshakan/garinet/rec/rec000.html
「ガリ版ネットワーク」は、2008年9月、「ガリ版伝承館」を拠点とする「新ガリ版ネットワーク」に引き継がれた。このガリ版伝承館は1894年(明治27)に謄写版を開発、発売を始めた堀井新治郎の故郷の本宅(滋賀県東近江市)内に、1998年(平成10)に開設されたものだ。いまガリ版伝承館では「志村章子さん追悼展」が5月8日まで開かれている。

私が最初に志村さんに会ったのは、『明治両毛の山鳴り』(田村紀雄、1981)の編集の時だろう。彼女は月刊雑誌『文具と事務機』(現『BUNGU TO JIMUKI』、創刊は1923年[大正12])の編集長だった。そのため文具の業界に詳しく、堀井謄写堂の松村正雄取締役や伊東屋の伊藤義孝会長とも親しかった。『ガリ版文化史』や『一業専念 伊東屋八〇年史』(1985)、『銀座伊東屋百年史』(2004、いずれも非売品、執筆=志村章子、編集=新宿書房、装丁=中垣信夫)は、この人脈から生まれたのだ。
2008年9月の「もじもじカフェ」に志村さんがゲストで呼ばれたことがあり、私も本を売りに行った。その時の記録が残っており、元気な志村さんの姿を見ることができる。ほんとうに懐かしい。

         

左=志村章子さん
右=もじもじカフェ第12回「ガリ版文化と日本人」(2008年4月12日、
阿佐ヶ谷・バルト)

「三栄町路地裏だより」のvol.29(2001.11.12)では、志村章子さんの文「ガリ版ネットワークの7年」が収録されている。
また、新宿書房のHPコラム欄の「過去のコラム」からは、志村章子「『ガリ版文化史』その後」(2002.9.13)を読むことができる。

志村章子さんは、実は、書く人というより、語る人であり、なにより行動の人だった。シンポジウムの司会やトークもうまかった。一度、高名な孔版画家のインタビューに同席したことがあった。志村さんはいつの間にか、その方の懐に入りこみ、貴重な話を次から次へと聞き出しているのだ。