愛知県奥三河の東栄駅を過ぎると、出馬(いずんま)駅から飯田線は浜松市天竜区に入る。ここから13駅目の小和田駅までが浜松市のようだ。その途中にある中部天竜駅。この駅名から、中部電力と関係あるかなと思ったがそうではない。対岸の地名、中部(なかっぺ)から由来し、当初の駅名は「なかっぺてんりゅう」と読み、後年「ちゅうぶてんりゅう」となったそうだ。あの戦後復興の象徴の一つとなった佐久間ダム。岩波の記録映画などをみてきたが、この中部天竜駅からダムまで徒歩19分とあった。この駅は有人駅だが、豊橋~辰野間の飯田線で有人駅はわずか13駅だけであり、全駅の85パーセントが無人駅だという。だから、車掌さんは忙しい。
相月(あいづき)、小和田(こわだ)は浜松市、ここを過ぎると長野県下伊那郡天龍村に入り、中井侍(なかいさむらい)、伊那小沢(いなこざわ)、為栗(してぐり)、田本(たもと、下伊那郡泰阜[やすおか]村)、金野(きんの、飯田市)と、飯田線の誇る「秘境駅」がつぎつぎと目の前に現れる。もちろんどの駅も無人駅。飯田線は4つの地方鉄道が合体して誕生したこともあり、駅間の距離が短い。
天竜峡駅を過ぎる。駅のホームから名勝・天龍峡は見えない。そして今日、下車する飯田駅に14時43分に到着する。豊橋駅から乗ったこの各駅電車の乗車時間は4時間1分だった。
小和田駅
伊那小沢駅
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飯田駅から、今晩の宿に向かう。市内バスで40分、その温泉の名前は事前にMさんが作成してくれた旅行プランにはあったが、私は十分には理解していなかった。バスの終点は「昼神(ひるがみ)温泉郷」といい、その一番奥にある湯元ホテルだった。この温泉街が飯田市の西隣にある下伊那郡阿智村(あちむら)にあることにまず驚いた。実はこの阿智村には前から関心があって、いつか行きたいと思っていた。まさか自分がいま阿智村の中にいるとは。
ふたたび、わが父(村山英治)にご登場を願おう。村山英治は1986年(昭和61)に『大草原の夢――近代信濃の物語』(新宿書房、イラスト=小泉孝司、装丁=吉田カツヨ)を上梓した。英治がこの本を書くきっかけは、この阿智村にある長岳寺の住職だった山本慈照(やまもと・じしょう 1902~1990)の存在だった。山本が1965年から始めた「中国残留孤児の肉親探し」の運動を知る。ここ阿智村から満州開拓移民の一団「阿智郷開拓団」が1945年5月に満州に向かった。山本も現地国民学校の教師として、妻と娘2人とこれに同行した。阿智郷開拓団とは、旧会地村、伍和村、山本村で編成された開拓団。1972年には山本の努力で残留孤児と日本の肉親との再会が初めて実現した。高度成長期の日本、戦前のことを忘れかけていた日本人を震撼とさせた出来事だった。この時に『大草原の夢』の構想・執筆に火がついたにちがいない。山本慈照がいたその阿智村を、今回偶然訪ねることになるとは!私は強く心を打たれた。
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さあ、急ぎ足で飯田線の旅の後半を記そう。われわれは翌朝、6時からやっている昼神温泉名物の朝市に向かう。この朝市は365日毎日やっているという。木曜の平日だからか、お客はそう多くはないが、地元の野菜や草花がいい。いろいろ買いたいが、われわれは電車の旅人だ。かさばる重いものは諦める。市への往復に歩いた水量豊かな阿智川沿いの散歩道がまたいいのだ。ネオンや水商売も村が規制しているという昼神温泉。道にはゴミひとつ落ちていない。この20数件の清潔な温泉宿全体から「出湯(でゆ)50周年」を祝うパワーを感じた。国鉄中津川線の建設が進められていた1973年、ボーリング調査でこの温泉が湧出したという。しかし、1980年に国鉄再建法施行により、中津川線は工事を凍結し、いわゆる「未成線(みせいせん)」になった。中津川線「昼神駅」が予定されていた場所に、最初の温泉旅館が誕生したのは、1975年のことだという。
昼神温泉地図
飯田駅に出て、11時32分、飯田線を戻って天竜峡駅へ。駅構内のロッカーに荷物を入れ、身軽になった4人は、天龍峡お散歩ルートを歩く。私ひとりは、入り口にあった竹の杖を借り、皆のあとに続く。途中ランチをとり、2時間後に天竜峡駅に戻る。14時17分発の岡谷行きの電車を待つ。そう前日に豊橋から乗った同じ電車だ。辰野を過ぎ、岡谷着は17時33分。ついに飯田線各駅完全乗車、達成だ!
龍角峯 つつじ橋
(写真はすべて同行のMさん撮影)
上諏訪で夕食、特急で立川へ、そして荻窪に着いたのは23時過ぎ。すばらしい2日間の飯田線の旅だった。奥三河の花祭り、佐久間ダム、天龍峡、昼神温泉、阿智村、山本慈照・・・・。飯田線はさまざまな事象を私の前に運んできてくれた。思いがけない感動も!
参考サイト・参考文献
◉満蒙開拓平和記念館
https://www.manmoukinenkan.com
同館は阿智村にあり、「山本慈照記念館」と統合したもの。
◉『弾圧の下で 良心を貫いた 教師たち~「二・四事件」に学ぶ長野・上水内集会 記録集~』(発行=同集会実行委、2017年7月刊)
この集会は2017年2月に長野市で開かれ、「二・四事件」(昭和8年のいわゆる「長野県教員赤化事件」)で逮捕された208人の教師にうち、3人の教師(村山英治・吉沢利男・小池平八)が取り上げられた。われわれ兄弟も関係親族として初めて招かれた。同報告書にはこんなくだりがある。
(村山は)旧満洲での日本人残留孤児問題と山本慈照の運動に強い関心を持っていた。満洲の悲劇、それは「二・四事件」とつながっているという認識があった。信州教育界が「二・ 四事件」を「恐懼(きょうく)反省」し、汚名をすすぐため異常なまでに国策に協力して、日本一の満蒙開拓団や青少年義勇軍の送り出しに手を貸し、無残な悲劇を生んだ。かつての教育県長野は、戦争協力の模範県となったのである。村山英治はその無念さをこの本で告発したのではないか。