(17)新宿書房祭は続く、そして『新宿書房往来記』がついに読者の手に
[2021/12/18]

神田神保町の東京堂書店では12月6日(月)から「新宿書房祭」が始まり、9日(木)の午後3時過ぎに、同店の新刊台に『新宿書房往来記』(港の人)が並んだことは、先週のコラムで書いた。
それからちょうど1週間が過ぎた。たくさんの知り合いの方が東京堂書店を訪れてくれたようだ。そして誰もが「新宿書房祭」のディスプレイに驚き、感激する。「新宿書房祭」の装飾や展示は「華やかで楽しいコーナーになっていますね」と本当に評判がいい。
この祭の展示のすべての企画・演出をしたのが同書店の石井隆広さん。石井さんが、ときどきメールをくれる。12日の日曜日には『女湯に浮かんでみれば』(2009)『神保町 タンゴ喫茶劇場』(2011)の著者、堀ミチヨさん(1974~2012)の母・千加子さんが来店、「本日、ミチヨさんのお母様がお見えになりました。村山様によろしくとのことでした」と報告があった。『神保町 タンゴ喫茶劇場』の舞台となったカフェの「ミロンガ・ヌオーバ」は、東京堂書店から歩いて数分のところにあり、いまもミチヨさんのこの遺作を店内に常備して販売してくれている。
並べられた本にもこんなコメントがあった。「新宿書房がこんなにたくさん本を出していることに驚きました」そして、「絶対平積みにならない、著者と関係者の思いのこもった本の数々。感動しました」これはある意味なかなかキツいコメントだが、真実をついている。でも、うれしい。「この展示、まるで移動図書館(車や船もあります)です。新宿書房がここにそのまま移ってきたようです」これは、なかなかうまい表現だ。
そして12月14日には石井さんから、「『新宿書房往来記』が今週のランキングで4位に入っております。取り急ぎご報告まで」とのメールがきた!どれだけの知り合いが駆けつけて来てくれたのだろう。翌日の15日には、港の人の上野勇治さんから、「今日はたまたま印刷立ち会いで東京にでかけ、帰りに東京堂書店に寄りました。新宿書房祭に圧倒されました。あつい心意気を感じ、感動しました。ほんとうによかったです。ありがとうございます」とメールとこの写真が。


東京堂書店のウィンドー

ほんとうだ、確かに第4位だ。
「新宿書房祭」を見てくれた方々から、続々とメールや電話をいただく。
杉浦康平さんの奥様の祥子さんから。「谷村(彰彦)さん装幀のカラフルな『見世物小屋の文化誌』『見世物家業』や、宇江敏勝さんの本がずらっと並んでおり、 杉浦は、新宿書房がこんなにたくさん本を出していることに驚いていました」。そして、『新宿書房往来記』を手にした杉浦さんはこうコメントしてくださった。「本の厚さにまず驚き、〈大地の底から言葉が湧きだすような、動きのある装丁〉だと評価し、中のページを繰りながら、ずいぶんいろんなテーマについて書いているね。すごい記憶力だね、などと感心しています。村山さんがこれまで綴ってこられた滋味あふれるエッセイがとてもいい形で本になって本当によかったです。おめでとうございます!」素晴らしい褒め言葉に涙が出そうだ。
中垣信夫さんも東京堂書店に行ってくれた。「いい装丁だよ、田村義也ふうだね。懐かしい本があったね」。これは中垣さんが装丁してくれた『市川房枝自伝 戦前編』(1974)のことだろう。この本、最初は函入りだった。
朝日広告社の天野一哉さんは、「賑やかでしたが怪しげな雰囲気もあり……、楽しい店頭でした。30代男性がケルアックを手に取っていましたよ」と。

港の人に事前に注文していただいた本や私から送った本が、次々に到着しているようだ。そして皆さんの声が聞こえてくる。
「読みました。村山さんはそうだったのか!と今フーッと深いため息をついているところです。知らない方が多かったけど、面白かったです」とは、記録映画『スズさん~昭和の家事と家族の物語~』(2021)に出演した小泉和子さん(昭和のくらし博物館館長)だ。「私が忘れていたことが書いてある」(宇江敏勝さんから電話)。「百人社通信、『風の自叙伝』を作っていただいた時のこともよく覚えています。松本昌次さんの言葉、周縁(マージナル)、路上(オン・ザ・ロード)から生まれてくるという出版……、村山さんらしい世界が広がっています。若い仲間にすすめます」(野本三吉さんから手紙)。「本日村山さんの本が届きました。ありがとうございます。最後の書籍一覧にきゅうっと胸が締め付けられました。これほどの書籍に関わった方々の歴史があるんだなと」(元社員、フリー編集・校正者のSさん)。
最後に紹介するのは長兄(映画監督の村山正実)からの電話だ。「この本でお前が何をしてきたか、お前の仕事(編集者)が初めてわかったよ」傑作なコメントだが、うれしい言葉だ。そして「なかでも〈村山新治と佐伯孚治〉〈梅宮辰夫と村山新治〉が面白かった」と。