(19)斎藤たまさんのことなど
[2022/1/8]

『新宿書房往来記』(港の人)を出版してちょうど1ヶ月が過ぎた。刊行記念に開催されている神田神保町の東京堂書店での「新宿書房祭」、新年1月4日から17日まで続行中だ。見に行っていただければ嬉しい。
これまで多くの皆さんから出版へのお祝いの言葉をいただいた。年賀状にも読んだよと書き記す方もいらしたが、こんなことを言うひとがいた。
「往来記、たいへん面白く読みました。しかし、この本にいない人がいるなと思いました。それは斎藤たまさんです」
確かに斎藤たま(1936~2017)さんのことは、本書の一文「踊る編集者 追悼 室野井洋子」の中で名前が一度出るだけだ。巻末の「新宿書房刊行書籍一覧」から、斎藤たまさんの本をひろってみる。
『ことばの旅』(1984)
『生ともののけ』(1985)
『死ともののけ』(1986)
『行事ともののけ』(1988)
『秩父 浦山ぐらし』(2005)(黒倉正雄との共著)
『鶏が鳴く東 ことばの旅1』(2012)
『ベロベロカベロ ことばの旅2』(2012)
新宿書房は斎藤たまさんの本を7冊も出しているのに、この本ではたまさんについて書いた文がない、という疑問だ。そうなのだ、たまさんとの思い出はたくさんあるのだが、弁解するようだが、たくさんあり過ぎて、いままでコラムに書いていないのである。どうしてだか自分でもわからない。

たまさんの『もののけ』3部作の伊藤昭(1935~2007)さんの挿画・装丁は素晴らしい。たまさん、伊藤昭さん、宇江敏勝さん。この3人との交遊も私には懐かしい思い出だ。いつだったか、かれら3人と宇江さんの家の近くの山に登り、山頂あたりで、宇江さんのおかあさんが作ってくれたおにぎりをほうばったことがあった。みんなで遠くの果無の山々を眺める。その時に伊藤さんがつぶやいた言葉がおかしい。「こうしてみると、村山さんは、野の人ばかりと付き合っているんだね」
さて「本のヌード展」(本コラム15「桂川潤さんのこと」参照)にならって、たまさんの『行事ともののけ』をヌードにしてみよう。


カバー:「闇と光とわれらが祖々(おやおや)」


表紙:「奥三河の花祭りより、榊鬼の舞 豊根村間黒にて」


扉:「元旦のいろり端 甲斐郡内地方・奈良子の里にて」

『新宿書房往来記』についてのコメント二つを紹介しよう。
まず小田光雄さんの「出版状況クロニクル164(2022-01-01」から。

村山恒夫『新宿書房往来記』(港の人)が届いた。多くの知っている人々、書籍が登場し、とても懐かしいし、巻末の「新宿書房刊行書籍一覧1970~2020」によって、原秀雄『日没国物語』と立木鷹志『虚霊』を読んだのが1982年であったことを確認した。
 現在、中村文孝との対談『私たちが知っている図書館についての二、三の事柄』を手がけているのだが、図書館において本はシステムの部品、もしくはチップにすぎないのに、出版社にあっては常に一冊ずつの物語があることをあらためて認識させてくれる。

次に越野武さんがお仲間に出されている通信から。越野さんのご了解を得て転載させていただく。

暮に村山恒夫さんの『新宿書房往来記』の案内がありました。ひょっとしてご記憶の方がおられるかもしれませんが、新宿書房は拙著『風と大地と―世界建築老眼遊記』(2008) の刊行を引き受けてくださった出版社です。
 早速読みました。本の基本は著者の仕事だと思いこんでいたのですが、考えてみると、優れた編集者がいないと、ちゃんとした本にならないのですね。もとになる原稿があったとしても(読むだけでも大変)、書名に始まって全体構成も決めるし、使用する図版や写真の選択捜索、キャプションやら、場合によっては巻末年譜や索引もあります。即物的ですが用紙選択、本の版形・サイズ、字体、版下レイアウト、……表紙やカバーにいたっては書名の文字もいちいちデザインされるし、本の背、本扉、オビ、それぞれの色指定、用紙指定、花布の指定があり、印刷所、製本所の選択、そしてゲラ校正が何回も繰り返される……。ご本の中では大概がほかの編集者の言葉になっているけど、村山恒夫さん自身のことに違いありません。
 本作りのことは全く知らない世界ですが、読むうちに建築設計のことと重ねるようになりました。建築でも良い形を生み出そうとして、いくつもの仕事人を組織起用し、細かな事項を選択したり、指定します。よく似ていますよね。でも、もとになる原稿は、建築だと何に相当するのかなあ。本にしても建築にしても、もちろん形だけのことではありませんよね。
 村山さんは平凡社勤めから「いま、これをやらないと後悔する」と独立した方です。「神保町にウロウロいる、小出版社の「サイ食主義者」のひとり」だそうです(この「サイ」は「菜」ではなく「妻」)。