先日、めずらしい方から電話があった。堀ミチヨさんのお母さん、千加子さんからだ。2021年12月6日から始まった神田神保町の東京堂書店での「新宿書房祭」には、千加子さんもさっそく駆けつけてくれた(当コラム17参照)。
娘の堀ミチヨさんは新宿書房から2冊の本を出している。
『女湯に浮かんでみれば』(2009年10月10日)
『神保町 タンゴ喫茶劇場』(2011年6月30日)
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まず、『女湯に浮かんでみれば』(46判並製288頁)。著者の初のエッセイ集である。そのカバー・帯の惹句を紹介してみよう。
「湯気の向こうに裸が見える。裸の向こうにこの世が見える。」「今宵も 元気な 女湯世界 出逢いと 事件の 遊楽エッセイ。」「女湯エッセイストの誕生!」「東京、女、風呂ナシ。だからこそ見えてくる、銭湯・女湯の世界。いまこんな濃密な空間がほかにあるだろうか?〈元気に生きていく〉コツがわかる、女湯散歩紀行。」
同書の各所に入っているイラストも堀さんの作だ。造本は島津デザイン事務所(矢野徳子+鈴木知哉)。
カバー 本文イラストより
銭湯組合雑誌『1010』(2009年12月号)より
刊行後、十紙誌余りから書評・紹介・著者インタビューの記事をいただいた。著者初めての本としては、大善戦といえる。
「裸のまんまを描いた観察日記」「著者が以前住んだことがあるチュニジアの銭湯、ハンマームも紹介されている」(そう、ミチヨさんは2001~2003年にかけて北アフリカのチュニジアに在住している)「東京在住、風呂なし物件に住む30代の女性が、銭湯の奥深き世界を綴ったエッセイである。日本の銭湯は猛烈なスピードで姿を消しつつある。〈銭湯的なもの〉こそ、現代のわれわれの共同体が必要としている」「銭湯文化がもっと見直され、町の活力になるといい。筆者の筆致も銭湯のように心地よい」「知られざる女湯の世界を覗いた気にさせられる1冊」「銭湯をこよなく愛する著者が描く、平成浮世風呂女湯事情」「名を知らぬ同士挨拶を交わし、ときにポロリ人生が見える。ここは生きた人間の劇場」「本格的“銭湯エッセイ”女だけの湯での人間模様を、ユーモラスかつ“赤裸々”に描いている」「女性たちの風呂場トークに聞き耳はまさに未知の世界」
どれもいい紹介・コメントである。しかし、本は売れなかった。1年後に堀さんから本の売れ行きを聞かれ、「実はあまり良くないんだ」というと、彼女は「それは困りました」と悲しい顔をした。
どのようないきさつで堀さんの最初の本が誕生したか、今ははっきり憶えていない。しかし、『お寺に泊まる京都散歩』(吉田さらさ著、2005年:改定新版は2008年)、『お寺で遊ぶ東京散歩』(吉田さらさ著、2006年)、そして『絵地図師・美江さんの東京下町散歩』(高橋美江著、2007年)と、「散歩の本」を続けて出している時期だ。この流れで企画が出てきたに違いない。
いま、あらためて『女湯に浮かんでみれば』を手にしてみる。海女の世界、『海女たちの四季』(1983年)、『海を渡った朝鮮人海女』(1988年)、『海女小屋日記』(1991)を出してきた編集者としては、民俗・女性史でなく、風俗、落語・川柳の世界をねらったかもしれない。造本も和綴じ本のような雰囲気を醸し出している。私家本のような佇まいだ。湯上りの雰囲気かもしれない。
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2冊目の本、『神保町 タンゴ喫茶劇場』(46判上製224頁)は、およそ2年後に出版された。ミチヨさんにも、私にも、「今度こそ」という気持ちがあった。造本は鈴木一誌さん、写真は大木茂さんの特撮と、力が入っている。
捨て扉:見開き
大木さんは路地裏にあるこのタンゴ喫茶に足繁く通い、
路地・店内の数多くのいい写真を撮ってくれた。
それらの写真が本書全編にわたって配置されている。
世界一、古本屋が集まるという町、ジンボウチョウ。〈さびしんぼ横丁〉とも呼ばれる細い路地裏には、タンゴ喫茶がひっそりと佇み、きょうもまた、いろいろな人を惹きつける。このタンゴ喫茶でミチヨさんは働いていた。これは古本屋街の路地にある、タンゴ喫茶騒動記である。――そんなわたしもさびしんぼ。この路地で働き、この路地で酔払う――。
『神保町 タンゴ喫茶劇場』もたくさんの書評・紹介をいただいた。「古本屋の路地にあるタンゴ喫茶騒動記。昭和の彩りが残る神保町の小路や古本屋、思い出の店はそのままであってほしい」「東京神田は古書店の街。路地の街でもある。長さ67歩、幅4歩の路地裏に、タンゴ喫茶があった。ここの店に7年勤めた著者の感受性がとらえた人間模様が、問わず語りのように綴られる。」「ページを繰れば、まるで昭和の佳品シネマのごとし。たっぷりコーヒー豆のにおいがしみこんだ、ほの暗い空間で、ゆったり大人の時間が過ぎていく」「タンゴ喫茶騒動記はそのまま映画になりそうなドラマツゥルギーにあふれている」
『朝日新聞』の書評欄にも載った(2011年8月28日)。評者は作家の逢坂剛さん。「神保町にある喫茶店で働いていた女性の〈お客観察記録〉とでもいうべき本。仕事場の近い評者もときどき行く、・・・読んでいて〈ホントカイナ〉と思わせる話もあり」「これがすべて著者の創作だとしても驚きはしない。むしろ、そう思って読んだほうが無邪気に楽しめるかもしれない」
なかなかキツい書評だが、著者の観察力そして想像力はなかなかのものではないか。人気小説家を苛立たせた筆者の描写力をほめたい。
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タンゴ劇場の続編、第二幕目はなかった。残念なことにミチヨさんは、2012年5月に、なんと38歳の若さで亡くなってしまった。それから10年経った。
最近になって、私の両膝の調子もあがってきた。歩行訓練のため、久しぶりに神保町に行ってみようと思い立ち、バスに乗って阿佐ヶ谷へ。東西線、都営地下鉄を乗り継いで、本の町に。ここに来るのは今年1月の東京堂書店「新宿書房祭」以来だ。神保町駅は身障者にはなかなか辛い駅だ。ようやく地上に出ると驚いた。今日10月28日は「神田古本まつり」の初日なのだ。
堀ミチヨさんの『神保町 タンゴ喫茶劇場』の舞台に向かう。彼女は、この喫茶店「ミロンガ」で働いていた。実は先日の堀ミチヨさんのお母さんからの電話は、久しぶりに「ミロンガ」に行きましたよ、村山さん最近は行ってますか?という電話だったのだ。
「ミロンガ」ではミチヨさんの本が出た後、そして彼女の亡くなった後もずっと『神保町 タンゴ喫茶劇場』をお店に常備してくれ、毎年補充してくれている。いま三省堂書店は解体・新築の工事が進んでいるが、長さ67歩、幅4歩の路地裏は変わらない。ランチにピザとコーヒーを注文する。ご主人にも声をかけた。「先日、堀さんのお母さんがいらいしゃましたよ」と彼女は答えてくれた。レジの横ではミチヨさんの本が微笑んでいた。
さて、ここから友人がやっている出版社も近い。ちょっと寄ってみるか。