(7)海軍水路部と酒見綾子さんのこと
[2021/10/9]

宇江敏勝さんからの電話があった。「朝日の連載小説に酒見さんの名前が出ているよ」
池澤夏樹さんが2020年8月1日から『朝日新聞』の朝刊で小説『また会う日まで』の連載を始めている。2021年9月23日(連載405回目)の「立教高等女学校(22)」を見ると、確かに冒頭に「酒見綾子という生徒が奈良に疎開することになりました」とあった。

酒見綾子(1930〜2018)さんは、兵庫県西宮市在住の画家(二科会会友)で宇江さんの友人だ。神戸の同人誌雑誌『VIKING』の古くからの仲間でもある。新宿書房が出版した宇江さんの『山の木のひとりごと』(1984)は、雑誌『室内』で1983年までの3年間連載された宇江さんのエッセイをまとめたものだ。連載当時から酒見綾子さんが毎号挿絵を描いていた。『山の木のひとりごと』はその後、『樹木と生きる』(1995)、『樹木と生きる』(「宇江敏勝の本 第Ⅰ期5」、2001)と書名、判型を変えて出版してきたが、本文の挿画はずっと変わらず酒見さんの絵だ。
ついでに雑誌『室内』のことを説明すると、この雑誌はコラムニストとして知られた山本夏彦氏(1915〜2002)が編集兼発行人で、発行元は工作社。1955(昭和30)年、家具屋、建具屋、大工のための月刊誌として創刊される。当初『木工界』という雑誌名で、1961(昭和36)年4月号から『室内』と改称した。残念なことに、2006年3月号(615号)で休刊している。宇江さんの連載を本にする際に、再録願いの電話を『室内』の編集部にしたところ、電話口に出た山本夏彦さんが、「なんだ、連載全部からか」とひどく不機嫌なご様子だった。そのことがいまも鮮明に記憶に残っている。

酒見さんの本、『老いも楽し』が生まれるまでを辿ってみよう。新宿書房のHPコラムで酒見さんがコラム「老いも楽し」を開始したのが、2002年6月10日からで、それから2010年12月22日の45回まで連載している。そして、このコラムが単行本『老いも楽し』(絵=酒見綾子、装丁=桂川潤)として出版されたのが2011年6月15日である。
新宿書房のHPに酒見さんのコラム「(5)海軍水路部のころ」(2002年10月6日)が掲載された後、酒見さんの元には海上保安庁水路部に勤務していた人や戦史研究家などから問い合わせが数多くきたという(本『老いは楽し』188頁)。みな、旧海軍水路部井の頭分室のことを調べている人たちだった。1944年(昭和19)10月から海軍水路部のために「高度方位暦」の計算(航空天文暦推算)に動員された当時の立教高等女学校2年生の思い出がここで初めて開陳されたのだ。1944年6月には女学校は学校工場となり、聖マーガレット礼拝堂は日本無線の作業所となった。クリスチャンの学校だから米軍の空襲から免れるかもしれない、という計算もあった。
コラムをきっかけにある戦史研究家が酒見さんにインタビューしたことで出来上がった本が、神野正美著『聖マーガレット礼拝堂に祈りが途絶えた日――戦時下、星の軌跡を計算した女学生たち』(潮書房光人社、2012年)だ。この本には1944年12月末に酒見さんが奈良に疎開する際に、級友からもらった「お別れのサインブック」の画像(10枚)までもが収録されている。

池澤夏樹さんの小説『また会う日まで』は、父・福永武彦の母方の伯父・秋吉利雄の生涯を描いている。秋吉はクリスチャンで海軍少将までなった軍人である。「立教高等女学校」の章では、神野正美の著書を参考にしたにちがいない。収録されていた「お別れサインブック」がそのまま載っていた。


酒見さんの挿絵。いずれも新宿書房HPコラム「老いも楽し」より