(3)架空伝承人名事典はなぜ生まれたか?(その1)
[2012/6/23]

 林達夫編集長のもとで第一次『世界大百科事典』(1955)の雑部門を担当していたころ、資料探しに古書店めぐりをしていて、いろいろ気になることがあったが、そのひとつに、今つくっている百科事典に、本屋の書棚に並んでいる本であつかっているような人物たちが、かなり項目から洩れているということがあった。

 だからといって、誰も彼も入れるわけにはいかないけれど、スタートしたばかりの百科事典の人名項目リストでは、専門領域周辺や底辺の人物が見落とされがちだったと思う。だから作品の主人公や伝説・口碑(こうひ)で語られる市井の侠客、盗賊、さまざまな腕利きの名人、傾城の遊女、絶世の美女たちに、あまり目が向けられていない。

 百科事典の人名項目の選定も、一般の項目と同じように、まず、歴史、思想、芸術、政治、経済、社会、教育などなどの各部門から、専門委員会の検討をへて提出される。専門分野に割り当てられた原稿枚数のワクのなかの選考だから、これを自分の専門領域にふりむけたくなるのは、専門家としてはやむをえない心情であろう。学問的に正確な事典をつくるには必要な作業ではあるが、部門会議や全体企画会議でもこのリストをもとに選抜がおこなわれたから、どうしても専門分野の要求に影響されてくる。

 わたしは至急に、人名項目にも雑部門の視点が必要であると考えたが、新米の雑部門編集者は力不足で、なかなかそこまで手を広げることはできなかった。

 古本から著者の連絡先を探しだし、やくざ研究の書がある田村栄太郎さんをはじめ、随筆家や民間研究者の何人かにもあたってみたが、連絡のとれない筆者や、書いてもらっても百科事典に適切でない原稿が多かった。

 この方面の編集の参考になったのは、むしろ雑然とした編集方針で刊行された戦前の平凡社の書籍類、とくに百科事典類や『大人名事典』などであった。

 『大人名事典』といえば、後年、奈良本辰也さんに『山口県の地名』(日本歴史地名体系 第36巻)の監修をお願いしていたとき、京都大学を卒業したあと、奈良本さんは朝から晩まで平凡社の『大人名事典』(これは戦後版でしょう)を読んでいたという話を聞いた。奈良本さんが京都市史の編纂を手伝わされたときのことである。『大人名事典』を頭から読んでカードに記入し、京都にかかわりのあった人名を片端から抜き出し、その人の京都との関係を調べていたというのである。市史の編集は最初、こんな作業から積み重ねたのだよ、と懐かしそうに語られていたが、これが奈良本さん自身の発案だったのか、だれかに命じられたのかは聞き洩らした。

 そのうちに平野謙さんが文芸時評かなにかで、『世界大百科事典』の「菊池寛」の項目を批評した。この項目は菊池寛の近代文学の業績の記述に終わっているが、菊池寛の仕事はむしろ『文芸春秋』などの出版にあるのだという趣旨のことを新聞に書いた。気にしていたことが、ここにも出ていると私は思った。専門分野をもつ他の編集者たちにも協力してもらい、その分野での雑的なことがらにもっと目を向けてもらう必要がある。しかし全体の人にそれを要請するには、一定の定式が必要である。わたしは民俗学から学んだ手法を応用して、「伝承人物にかんする記述テーゼ」なるものをとなえた。

 「百科事典は、実在する歴史的人物について、その記録の検証をすることが必要であるが、それと並んで、伝承的人物についても、それが世の中に広く伝えられてきたという伝承の事実性が問題である。事実性という点では、実在人物も伝説の人物も異なることはない。史実の源義経よりも伝説の義経のほうがむしろ大きく、史実の武蔵坊弁慶より伝説の弁慶の方がはるかに大きい。」

 しかし、これを実現することができたのは、ごく一部分にしかすぎなかった。

 林達夫さんの第一次『世界大百科事典』で、そういう苦い経験をしていたので、新『世界大百科事典』(『大百科事典』、1985)を設計するにあたっては、設計者の特権(?)を利用して、この事典の総予定原稿枚数のなかから、2千枚程度の枚数をあらかじめ控除しておいた。この保留分を、これから編集準備が展開するようになれば、伝承・口碑の人物や、作中人物の記述にあてるとともに、専門委員会の選定からもれた不時の項目にそなえておこう、そうもくろんだのであった。

 そのころ荒俣宏さんが、雑誌『アニマ』の常連寄稿者というかたちになっていた。彼はどこかから帰ってくると、編集室で原稿を書き、編集室に寝泊まりして、またどこかへ出ていくという生活だったから、荒俣宏さんにSF小説や、作中人物その他の知識の博物誌的な執筆を委嘱し、引き受けてもらった。

 林達夫さんから若い池澤夏樹さんを紹介されたのも、そのころであった。ギリシア語ができる人はいるが、たいてい古典ギリシア語で、現代ギリシア語と合わせこなせる人はめずらしい。そして、そのためにギリシア語の日本語訳は、古典的に典雅になりすぎているというのが、林さんの好みと持論であった。

 「池澤君はギリシア大使館に勤めていた経験もあり、その両方がこなせる珍しい人だ。百科事典の編集にきっと役に立つだろう」というのが推薦の言葉だった。池澤さんも荒俣さんとともに、一時、百科事典編集部のなかに机を置いてもらっていたが、なんの編集をしてもらったか覚えていない。

 やがて読売新聞紙上で、山本夏彦さんと加藤周一さんの「百科事典論争」がおこなわれるのも、この人名項目のあつかいということに関連しているが、長くなるので、これは次回にゆずる。


2005年9月19日 タイランド 意味を失い記号と化す
写真=大木茂