(5)架空伝承人名事典はなぜ生まれたか?(その3)
[2012/7/20]

 『日本架空伝承人物事典』は1986年9月に刊行された。この仕事は日本史、日本文学、民俗学、宗教、神話、各種芸能、図像学、書誌学などの各専門領域にまたがっており、しかも既成の領域を少しずつはみだしている。本格的に編集をすすめるには、それぞれの伝承が、ジャンルと時代をこえて、どのように転化し、どのように差異と対応をしめしているか、ていねいに見ていかなければならない。

 その根気のいる編集が、『大百科事典』完結後1年2カ月という比較的短い期間で終わったのは、新百科事典の編集方針に、「架空・伝承人物にかんする記述テーゼ」がかかげられており、百科事典の編集と並行して、こちらの準備もすすんでいたからであった。

 『日本架空伝承人物事典』の編集委員や執筆者をつとめた大隅和雄さん、西郷信綱さん、阪下圭八さん、服部幸雄さん、廣末保さん、山本吉左右さん、横井清さんは、同時に『大百科事典』の執筆者、監修者でもあった。そして『大百科事典』編集委員会の助手だった日本文化史チームの面々――日暮聖さん(日本文学)、勝浦令子さん(日本史)、飯島吉晴さん(民俗学)、金森和子さん(歌舞伎関係)たちが、ひきつづきこの編集を支えてくださった。

 提案者のわたしは、本格的に編集がはじまったときは編集局を去っていた。刊行されたときにはすでに平凡社を退社していた。あとの仕事を龍澤武さんに託したけれど、龍澤さんも編集部長として百科事典全体の指揮と進行に追われ、『日本架空伝承人物事典』の実質的な編集長は内山直三さんがつとめ、石塚純一さんも参加していたと記憶している。

 本格的な編集がはじまると、さらに筆者群として山本ひろ子さん、阿部康郎さんたちにも協力をお願いし、百科事典の記述をもとに、伝承の変異や引用文献を大幅に加筆する作業と、図版の選択がおこなわれたようである。

 冒頭の項目「愛護若(あいごのわか)」(説教節の主人公)を例にあげると、岩崎武夫さんが、自分の百科事典の原稿に全面的な加筆をおこない、山本ひろ子さんが、愛護若と山王信仰の関係について付記している。さらに、伝承の典拠となった説教節『愛護若』や上坂本『近江輿地志略』や『山門名所旧跡記』の原文の引用がある。

 また「和泉式部」は、『大百科事典』では日本史、日本文学の御伽草子「和泉式部」と別の項目になっていたのを、大隅和雄さんが伝承的な見地からまとめて改訂し、金沢文庫本説草『和泉式部往生集』、『法華直談鈔』、『俊頼髄脳』などの典拠となる原文を添えている。

 いずれの項目にも主人公をあつかった江戸時代の川柳が末尾に付されていて、伝説が後世の庶民のあいだに笑いの対象として生きていたことが示される。

 ただし、これらの項目は例外的で、原則的には『大百科事典』の記述をほぼ採用し、枚数の制約もあって百科事典では実行できなかった、伝承の変異(変型、転化、融合など)と、それが作品化されるときの変異にかんする記述を大幅に書き加えた。さらに典拠となった原文や、伝説から二次的に派生した川柳を引用しているところが、この事典の特徴であり、編集のねらいでもあった。

 松岡正剛さんが「千夜一冊」のなかで『日本架空伝承人物事典』をとりあげ、「ここには日本人の想像力の原点ともいうべき原型思考と想像力の多様性とが、ふたつながらアイウエオ順に集約されているといってよい。ぼくは何十回となくこの人名事典のなかを、大好きな裏町をくまなく歩くように渉猟したものだ」と述べている。そして、その一例として、この事典から、二人の虚構の人名項目(醍醐天皇の第三王女「逆髪(さかがみ)」と第四皇子「蝉丸」)をひろいあげ、それで松岡流思考遊びのあとをあざやかに披露してみせている。

 伝承のさまざまなヴァリエーションについて、松岡さんは、「神話段階におけるブリコラージュ(修繕とか寄せ集めの意味)」というレヴィ=ストロースの言葉を想起し、「それこそまさに編集であり、しかも相互編集なのであるが、しかしこの編集は編集者が無名であったり、多数であったり、時代をまたぐこともある。そのため正史としての記述される出来事と、語り継がれるうちにまったく新たな虚構の出来事となったことが、人々の記憶のなかでは区別がつかなくなることもおこっていく」という。

 レヴィ=ストロースの「ブリコラージュ」とは、彼が近代以降の科学的な「栽培された思考」と対比した、未開社会の「野生の思考」の知のあり方をいう。彼自身はその「野生の思考」の発見によって、西欧中心主義の思想からの脱却を説いているのだが、「ブリコラージュ」という語感そのものに近代的思考が残っているように、わたしには感じられる。「野性」と「栽培」の思考をつなぐ新しい「解釈学」の方法が必要なのではあるまいか。

 わたしたちが『日本架空伝承人名事典』を編集したのは、ほとんどの人が読み書きのできなかった時代に、有名無名の伝承の担い手たちが、いかに伝説を語りつぎ、世界をいかに解釈して、それを唱導してきたか、その事実をたどることによって、社会の底辺にいる民衆の価値観や態度にメスを入れ、その精神活動の痕跡を見つけようとしたのである。後からくる読者には「ブリコラージュ」の印象をあたえるかもしれないが、わたしたちはこの事典を、日本の民衆の心性史や精神史をさぐる解釈の手がかりにしようと考えたのであった。

 この出版は書評家の注目をあつめた。売れ行きもよく、ロングセラーになった。1960年代末から始まった妖怪ブームに乗って企画されたものだという人もいるが、百科事典の平凡社が、良くも悪くも、そんな小器用に、ブームに合わせた編集ができるわけはなく、平凡社がこれを企画し編集した経過は、ここに述べたとおりである。

 『日本架空伝承人名事典』が刊行された一年後には、角川書店から『日本伝奇伝説大事典』(1986年10月10日)が刊行された。編者は乾克己、小池正胤、志村有弘、鳥越文蔵、高橋貢の諸氏である。参考文献はあげているが典拠の引用はない。「刊行の辞」には、「研究者の参考に供することができるとともに、一般読書人が茶の間で気軽に利用できるもの、すなわち、映画、演劇、テレビ、小説などを観賞する際に役立つものを選ぶように心がけました」とあるから、こちらは怪奇、妖怪趣味の到来を察知していたのかもしれない。

 『日本伝奇伝説大事典』は人物以外に、風景、事件、作品、職業、建築物などもとりあげている。「ア」の部の冒頭を見ると、「会津騒動」「会津の小鉄」「青島神社」「青砥藤綱」「青の洞門」「青葉の笛」「赤猪子」「赤垣源蔵」「赤城・日光の神戦」「赤城の本地」「赤子塚」「明石志賀之助」「赤間が崎」「赤松円心」「赤松満祐」「秋田騒動」「安居院」「悪源太義平」「悪七兵衛景清」などと並んでいる。平凡社の『日本架空伝承人名事典』は、人名以外の解説は百科事典にまかせる仕組みである。

 平凡社の『日本架空伝承人名事典』は2000年に、尾崎秀樹、高橋千剱破(ちはや)の諸氏が新たに編集委員に加わり、80項目ほど増補した改訂版を出した。平凡社と角川の二つの事典とも、取り扱っている時代は、古代より、江戸時代から引き継いだ明治初期までの項目であったが、ことし(2012年)出版された『新版・日本架空伝承人名事典』では、ウルトラマンまで項目になっていると宣伝文句にある。

 まだ現物を見ていないが、前回のコラムでふれた戦争の英雄たちは、「木口小平」以外は収録されていないらしい。わたしとしては『大百科事典』にもあるのだから、旅順閉塞作戦の「広瀬武夫」、遼陽会戦の「橘周太」、第一次上海事変の「肉弾(爆弾)三勇士」も、採用したらよかったと思う。「爆弾三勇士」については当時の新聞社の公募に応じた与謝野鉄幹作詞の歌があり、上野英信、『天皇陛下萬歳―爆弾三勇士序説』(ちくま文庫)などがある。

 さらに思いつくままにあげると、『大義』を遺した「杉本五郎」については、城山三郎や奥野健男の著作があり、戦時中にこの本を出したのは平凡社だった。また「阿部定」などの犯罪英雄にも目を向けてもいいのではないか。いまや第一次世界大戦までの架空・伝承人名は、総じて検討の対象にしていいのではないかと思う。


2004年4月5日 中国・紹興 魯迅生家
写真=大木茂