vol.23
山尾三省 (1) [2001/08/30]
島を一周する100キロメートルの国道を時計と反対回りに、空港からおよそ一時間程度行くと、一湊(いっそう)の漁村に着く。島の道路は以前にくらべてはるかに良くなり、沿道の店も増えており、みなこぎれいだ。一湊から入る山道には見覚えがある。空気は生暖かく、たっぷり湿気を帯びているが、東京の人工的な暑さとは違う。身体が気持ちよく緩んでいくのがわかる。十数年ぶりの屋久島だ。
舗装された山道を、四人を乗せた軽自動車があえぎながら上っていく。後ろ座席の私は頭が天井について、ずっと前屈みの姿勢をとらざるを得ない。そのあいだ下から見上げるように山の緑を見続ける。告別式の会場になっている「白川山(しらこやま)集会所」に着いた時にはすでに午前10時からの式は始まっており、僧侶の読経の声が開けはなたれた集会所の窓から聞こえてきた。
山尾三省さんが亡くなったという知らせを聞いたのは、28日の午前11時ごろ、事務所へ来ていた一枚のファクスからだった。月刊雑誌『天竺南蛮情報』の編集部のYさんからの通信文には、28日午前零時4分に自宅で亡くなられました、お通夜は28日午後6時より、告別式は29日午前10時より、それぞれ白川山集会場で行われます、喪主は妻の春美さんと書いてあった。
お通夜までに屋久島に着くには、時間がない、今晩鹿児島泊まりで、明日の朝の告別式までにはなんとか行こうと決めると、やや落ち着いた気分になり、何人かの人に連絡を取り始める。野本三吉さんは、すでに岸田哲さんから連絡が入っていて、「早かったね、ほんとうに残念だ」という。昨年11月の奈良の大倭紫陽花邑(おおやまとあじさいむら)での集いで、三省さんの病気のことをすでに知っていたし、さまざまな民間療法を受けてきたことも聞いていた。三省さんは昨年11月に体調を崩し、胃がんの末期であることが判明し、みずからこれを公表し、自宅で闘病生活に入っていた。(1)
7月末まで山と渓谷社の編集者だった三島悟さんに念のため連絡を取ってみる。彼は三省さんの最後の本『森羅万象の中へ』をつい7月末に出したばかりだ。(「三栄町路地裏だより」vol.7参照) 東村山の自宅にいた彼はなんと三省さんの死を知らなかった。相談してともかく最終便で鹿児島まで行き、鹿児島泊、翌朝の第一便で屋久島に行こうと決めた。彼はその後、会社への対応やアメリカのシエラネヴァタにいるゲーリー・スナイダーへの連絡に追われたらしい。私は三省さんの『回帰する月々の記』(1990)を編集してくれた札幌のザリガニヤの室野井洋子さんにも連絡を取る。実は私は三省さんとの最初の本『縄文杉の木蔭にて』(1985)の時は、とうとう屋久島へは行かずに、手紙や三省さんが上京する時を捕まえてなんとか、本を作った。それがずっと気になっていた。それで2冊目の本が出た時、初めて屋久島を訪れた。
告別式は山尾さんの家を通り過ぎ、橋を渡って、すこし坂を上り、左の急坂の脇道を駆け上ったところある集落の集会所で執り行われていた。白川山に住む曹洞宗の僧侶がかなりながく丁寧に読経をしている。ちょうど小学校の一教室ぐらいあるだろうか、板張りの部屋に正面に祭壇がしつらえてあり、参列した人々がその前に座り込んでいる。天井がない、コンクリートの打ちっぱなしの屋根裏の白い壁にはさまざまな昆虫がへばりつき、真下の告別式を見おろしていた。われわれが到着した時には式場の中に入る余地はもうなく、何人もの人々がおもいおもいの場所を選んで、集会所の周りに立っていた。われわれを飛行場まで迎えにきてくれた、ナオと呼ばれた青年もいつのまにか背後にいて、じっと式を見守っている。ニワトリの鳴き声と蝉しぐれが盛大な音量でわれわれの足許を揺るがす。
正面の三省さんの遺影はいつ頃の写真なのだろうか。焦点の甘いカラー写真が飾られてある。左右にたくさんの献花がおかれるなか、ひときわ大きな字の名札が目に付く。「田口ランディ」。このインターネットの人気コラムニストが三省さんとどういう関係があるのだろか。そういえば、人気が出る前、彼女は屋久島のガイドエッセイを出していたな、その時の知り合いかな、とも思った。(2)それよりさらに目を奪われるのが、高さ30センチを超えると思われる左右二段の弔電の山だ。昨日の三省さんの死は、すぐさま夕刊紙やインターネット情報で日本中に流され、多くの人々の心を騒がせたのだろう。その弔電の高い山から、さまざまな声が聞こえてくるようだった。
三省さんは「火の人」であり、「水の人」であった。火は風呂場の火であり、水は上を流れるものでなく、底を流れる水である。「火を焚きなさい」の全詩と「水が流れている」を以下のせる。
(いずれも『縄文杉の木蔭にて』より)
火を焚きなさい
山に夕闇がせまる
子供達よ
ほら もう夜が背中まできている
火を焚きなさい
お前達の心残りの遊びをやめて
昔の心にかえり
火を焚きなさい
風呂場には 充分な薪が用意してある
よく乾いたもの 少しは湿り気のあるもの
太いもの 細いもの
よく選んで 上手に火を焚きなさい
少しぐらい 煙たくたって仕方ない
がまんして しっかり火を燃やしなさい
やがて調子が出てくると
ほら お前達の今の心のようなオレンジ色の炎が
いっしんに燃え立つだろう
そしたら じっとその火を見詰めなさい
いつのまにか――
夜がお前達をすっぽりとつつんでいる
夜がすっぽりとお前達をつつんだ時こそ
不思議な時
火が 永遠についての物語を始める時なのだ
それは
眠る前に母さんが読んでくれた本の中の物語じゃなく
父さんの自慢話のようじゃなく
テレビで見れるものではない
お前達自身が お前達自身の眼と耳と心で聴く
お前達自身の 不思議な物語なのだよ
注意深く ていねいに
火を焚きなさい
火がいっしんに燃え立つように
けれどもあまりぼうぼう燃えないように
静かな気持ちで 火を焚きなさい
人間は火を焚く動物だった
だから 火を焚くことができれば それでもう人間なんだ
火を焚きなさい
人間の火を焚きなさい
やがてお前達が大きくなって 虚栄の市へと出かけて行き
必要なものと 必要でないものの見分けがつかなくなり
自分の価値を見失ってしまった時
きっとお前達は 思い出すだろう
すっぽりと夜につつまれて
オレンジ色の神秘の炎を見詰めた日々のことを
山に闇がせまる
子供達よ
もう夜が背中まできている
この日はもう充分に遊んだ
遊びをやめて お前達の仕事にとりかかりなさい
小屋には薪が充分に用意してある
火を焚きなさい
よく乾いたもの 少し湿り気のあるもの
太いもの 細いもの
よく選んで 上手に組み立て
火を焚きなさい
火がいっしんに燃え立つようになったら
そのオレンジ色の炎の奥の
金色のお宮から聴こえてくる
お前達自身の 昔と今と未来の物語に耳を傾けなさい
水が流れている
暗闇の中で
水が流れている
なむあみだぶつ
暗闇の中で
水が流れている
水が
真実に 流れている
いつのまにか、黒と白と茶のやせこけた三匹の村の犬が、われわれの近くに座りこんで式をながめている。ときたま、谷から吹いてくる涼風を受けながら、外にいたわれわれは入口受付に置かれた、香炉がわりの古い壺に向かって、めいめいが焼香をした。
[「三栄町路地裏
vol.24 山尾三省(2)」につづく]
参考URL:
葉っぱの坑夫 http://www.happano.org/
Web Press「葉っぱの坑夫」では、山尾三省の「火を焚きなさい」を日本語、英語、ローマ字で公開している。
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