vol.7
山尾三省・スナイダー・ナナオサカキ [2001/06/06]
宇江敏勝さんの『山に棲むなり』と『樹木と生きる』はしばらく品切れ(在庫なし)の状態が続いていたので、ボーナス・エッセイを数編つけた増補にして、「山の作家 宇江敏勝の本」の4巻、5巻に収める仕事が進行中だ。
編集は宇江さんの本をこの間ずっと担当している室野井洋子(むろのい・ようこ)さんが、今住んでいる札幌から熊野の宇江さんと連絡をとりあってやっている。室野井さんは、新宿書房の元社員で、踊る編集者として知られている。つまり、編集者の仕事のかたらわら、さまざまの分野の人とのコラボレーションをしながら、舞踏のアーティストとして、日本ばかりでなくフランスや韓国などで踊っている。
『山に棲むなり』には、思い出が多い。1982年の5月2日、朝一番の新幹線にのって、ようやく夜7時の最終バスで、熊野古道の横にある宇江さんの自宅にたどり着いた。翌朝、宇江さんの早い足取りに負けないように小走りで追いかけ、果無(はてなし)山脈の尾黒山に登った。わたしたちは低い林の中で、宇江さんの友人たちが竜神村から上ってくるのを待ちながら、どういう本にしようかと相談した。森の中での編集会議だ。土砂降りの雨のなか、なかなか焚き火の火がつかない。最後に昼飯の割り箸を燃料にして、ようやく火がついた。大きなブナの幹から雨が滝のように落ちてくる。
宇江さんの新しい本のために、すこし山について集中して考えようと思っていたら、何冊かの本が向こうからやって来た。
『賑栄(にぎわ)い塾-いのちのあり方を考える-』★ 山尾三省、真木悠介(見田宗介)、野本三吉、岸田哲、阿木幸男の5人が2000年11月18日、19日に奈良の大倭紫陽花邑(おおやまとあじさいむら)で開いた会合の記録である。
5人が過去40年を振り返りながら、いのちについて考えた2日間だが、この会は1996年12月に阿木の呼びかけで、「『不可視のコミューン』から26年──それぞれの今を語る」をテーマに、野本、岸田の3人で始まり、以後年1回東京で続けてきた会の第5回目となる。
山尾三省は、67年にヒッピーのグループ「部族」を結成するが、その実践は長野県富士見高原の「雷赤鴉(かみなりあかがらす)族」、鹿児島県トカラ列島諏訪之瀬島「がじゅまるの夢族」、国分寺の「エメラルド色のそよ風族」のコミューンの誕生をみた。
部族では、ビート詩人のアレン・ギンズバーグやゲーリー・スナイダーとの出会いがあり、日本のヒッピーの元祖、ナナオ・サカキがその中心にいた。
ゲーリー・スナイダーの『惑星の未来を想像する者たちへ』(山里勝己ほか訳、山と渓谷社)の中の「歩いて生まれる」はナナオ・サカキの詩集『鏡を壊せ』の前書きを収録したもので、ナナオのことを「日本から現れた初めての真にコスモポリタンな詩人のひとりである。しかし彼の思想と霊感の源は東洋や西洋よりも古く、そして新しい。」という。
「ひとりひとりが神だという真理」をもった部族の火種はいま、どこで、誰が、ずっと絶やさず保ち続けているのだろうか。
三省は屋久島で、ゲーリーはシェラネヴァタの山中で、それぞれ地域に根ざした生活を送っている。野本三吉もまた、沖縄、北海道、山谷、寿町、児童相談所、大学と場を変えながら学びの放浪を続け、未来の世代との継承を考えている。宇江敏勝もまた熊野でその火種を絶やしていない。
三省とゲーリーはシェラネヴァタの森の中で2日にわたる長い対話をした。これが『聖なる地球のつどいかな』(山と渓谷社)という本になっている。ここにも30年ぶりの出会いがある。
三省はいま重い病と生きている。★の冊子のなかで、彼のあたらしい詩が収められている。彼はいま一日一日、じっくり、ゆっくり、深く深く、暮らしている。
★連絡先:〒631-0042 奈良市大倭町4-35 須加宮寮 気付 岸田哲
<参考URL>
大倭紫陽花色:http://www.ohyamato.jp/
部族:http://members.jcom.home.ne.jp/kyamaji/buzoku2.htm
ゲーリー・スナイダー:
http://www2c.airnet.ne.jp/assisi/Influence/Native/NativeBookPhoto/TurtleIsland.htm
ナナオ・サカキ:http://atlas.csd.net/~panta/gurutrip_folder/guru3300.html
山と渓谷社:http://www.yamakei.co.jp/
ゲーリー・スナイダーの『野性の実践』も山と渓谷社から出版されている。どれも三島悟という編集者がいたからこそ、実現できた企画にちがいない。その彼も秋から新しい仕事、それも出版とはまるでちがう仕事を始めるという。それもいい、本は永遠に残るのだから。
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