心が形になるとき
[『悍[HAN]』第2号(P134〜140)赤崎正一、白順社]
悍
 
[荒川昭男(オリジナル書評)]

 この本は、美術家・塩田千春が神戸芸術工科大学で行った「現代美術史」の特別講義の記録である。塩田千春の作品に出会ったことのあるものにとっては、貴重な参考資料となるであろう。講義録のほかに、今まで世界各地で発表した作品が豊富な写真で紹介され、作品を生み出す過程で描かれたスケッチもたくさん収録されている。彼女が思い描いた世界が、どのように作品化されていくのか、そのバックグラウンドがよくわかるように構成されている。

photo:Akio Arakawa

 私は、現代美術を見て回るのをライフスタイルにしているが、特に世界各地で行われる塩田千春の展覧会は、できるだけ見に行くように努めている。彼女の展覧会を追いかけることで、素敵な旅行ができるからでもある。

 私が塩田千春の作品に初めて出会ったのは、2001年名古屋のケンジタキギャラリーでの個展だった。「…への不安」と題された作品は、病院で使われていた白いベッドを黒い毛糸でクモの巣状に覆 い、その横に洗面台を設置し、蛇口から水がポタポタ流れ落ちるインスタレーションだった。それを見たとき、何か衝撃的なものを感じた。このあと、横浜トリエンナーレ2001の超特大の衣服を使った「皮膚からの記憶」と題するインスタレーションを見て、彼女のスケールの大 きさと、内に秘めた繊細な心、生と死、自由への憧れなど…、いろいろな感情を沸き立たせる作品に、私はますます惹かれるようになったので ある。それ以来、この作家の作品をできるだけ見て歩こうと自分に誓って、現在に至っている。

photo:Akio Arakawa

 2001年より、日本では、東京、横浜、名古屋、京都、大阪、金沢、広島、福岡などで開催された塩田千春の展覧会。外国では、ニューヨーク(米)、セビリア(スペイン)、オーフス(デンマーク)、ベルリン(独)、ウォルサム(米)、カールスルーエ(独)などでの展覧会に出かけている。この本に接することで、私の記憶の隅にしまわれていたさまざまなアートシーンが、よみがえってきたのは、とてもうれしいことであった。

 現代アートを見て歩くことは、作家、ギャラリスト、アートファンと交流を深めることができ、人生の楽しみの幅を広げられるのである。私は塩田千春の作品を追いかけることで、思わぬ場所に行くことができた。特に2004年、スペインの第1回セビリア現代美術ビエンナー レを見に行った際、元の修道院での「夢の歓び」という彼女の作品(写真参照)は、今でもまぶたに刻まれている。ここで使われた窓は、旧東ベルリンで彼女自身が集めたものである。本書には、どのようにしてこれらの窓を集めたのか、写真とともに詳しく述べられている。

photo:Akio Arakawa

 2009年は、東京の資生堂ギャラリー、金沢21世紀美術館、ケンジタキギャラリー東 京、富山県の発電所美術館、新潟県の越後妻有アートトリエンナーレなどで、塩田千春の作品を見る機会があるが、 そこで使われるであろう、糸、ベッド、窓、水、ガラス、衣服、靴など にどのような思いが隠されているのか、本書を読むことでわかってくる。

 神戸芸術工科大学で行われた特別講義が、このような形でまとめられ出版されるのは、講義を聴くことのできない一般人にとって、とてもいいことである。一度でも塩田千春の作品に惹かれるものを感じたら、どうしてその作品に惹かれたのか、本書をひも解くことで解明されることだろう。

 塩田千春の展覧会情報は、以下のサイトで得られる。
http://www.chiharu-shiota.com/jp/

■著者について
 出版社を早期退職後、フリーランスの編集者。10年ほど前、ある美術館のホームページを作ることになったのをきっかけに、現代アートを見て歩くことがライフスタイルとなる。おもしろそうな展覧会があると、全国各地、ときには外国にまで足をのばして現代アートを楽しんでいるArt Loverである。

■写真について
 2004年10月スペインのセビリアで開催された第1回セビリア現代美術ビエンナーレでの塩田千春の作品「夢の歓び」。花の咲き乱れる修道院の中庭が彼女の作品の舞台。初日、窓で囲まれた空間に置かれたベッドに、女性が数時間眠るというパフォーマンスがあった。こういう作品に出会えるのも、塩田千春の作品を追いかけていることの醍醐味でもある。

 
[美術手帖 2009年5月号]
美術手帖
 
[出版ニュース 3月下旬号]
本の詳細を見る→ISBN4-88008-395-7