1972青春軍艦島
[出版ニュース 10月下旬号]
[望星 11月号]
新刊紹介(p96)

■『1972青春軍艦島』
大橋 弘著
新宿書房 二三〇〇円
 約半年間、炭鉱の下請け労働者として働いた若者による、三十三年前の軍艦島の生活がよみがえる青春写真集。軍艦島三〇号棟一階。ここが私の部屋だった。島には車は一台もなく静かだ。野母半島の灯りが瞬く……。
[公明新聞 9月25日]
[MEMO男の部屋 11月号]
BOOK
文=ツルシカズヒコ
33年前の青春がよみがえる
『1972 青春軍艦島』
都会から遠く離れた九州の島で炭坑の下請け労働者として働いた日々
大橋弘 著 新宿書房 2415円

 長崎市の沖合18キロに浮かぶ端島は、コンクリートで固められた炭坑の島だった。島影が軍艦に似ているので「軍艦島」。明治の初めから80余年にわたり石炭を採掘していたが、1974年に閉山し、以後は無人島になっている。島の南北480メートル、東西160メートル。最盛期の人口は5259人。
 著者の写真家・大橋弘は1972年から73年にかけて半年間、炭坑の下請け労働者として軍艦島で働いた。起居した部屋は30号棟1階。1916年に建てられた日本初の鉄筋コンクリートの集合住宅である。33年前、27歳の若者の青春がよみがえる写真集だ。
 軍艦島の廃墟を撮影した写真は何度か見たことがあるが、無人島になる以前の〈生きていた島〉の記録写真を見るのははじめてだった。大橋が軍艦島滞在中に撮影した写真は約1000カットしかない。大橋は当時を振り返る。
 〈今思うと被写体がまわりにごろごろしていたのに、何も見ていなかったな。若かったから見えなかった〉
 炭坑の島なのに採掘している抗夫たちにカメラを向けることもしなかった。
 〈とても残念。今にして思うと、そんなに撮ることに必死になっていなかったんだな〉
 確かに本書に収められた写真には、カメラマンとしての野心が希薄だ。ガラーンとした六畳の自室やなにげない島の風景や島民の日常生活のスナップ風の写真。いわゆるジャーナリスティックな視線という点では物足りなさを感じるのだが、だからこそ当時の青年の意識を反映しているのではないかと私は思った。
 大橋青年が東京の自宅から50ccの中古スーパーカブに乗り、気ままな九州の旅に出たのは1972年の夏。浅間山荘事件が起きたのはその年の2月だった。1972年という年は時代の大きな転換期だったはずだ。当時、高2だった私も「何かが終わった」という空虚な感情を持った。
 若者の意識が政治という外面から内に向かい始めた時代。本書の写真にはそうした時代の空気が滲み出ている。若さゆえの未熟さを悔いている大橋だが、私的な青春時代の写真集だからこそ、ジャーナリスティックでありえたとも言えるのではないか。写真って、やっぱり奥が深い。
[日本カメラ 9月号]
[夕刊フジ 9月9日]
[Lapita 10月号]
[信濃毎日新聞 10月1日/愛媛新聞 10月1日/長崎新聞 8月27日/新潟日報 9月10日]
[週刊読書人 9月1日]
[Be Pal 9月号]
1972青春軍艦島
大橋弘著
新宿書房刊 ¥2,415(税込)
 今日では廃墟として知られる長崎県の端(は)島。島影から軍艦島と呼ばれ、かつては海底炭田の島として栄えた。著者は半年間そこで働いた経験があり、島の暮らしや働く仲間、子供たちを写真に収めていた。33年の時を経て、再び島に血を通わせるかのような青春の写真集である。
[毎日新聞 8月16日]
[DAYS JAPAN  9月号]
[朝日新聞 8月6日]
[長崎新聞 7月24日]
[『週刊ポスト』 8月11日号]
[日本経済新聞 7月4日]
[MOKU 7月号]
[図書新聞 7月15日]
本の詳細を見る→ISBN4-88008-356-9