そしてぶらぶら猫は行く
パリ再訪雑記

[2003/07/15]

武器よこんにちは!?

 今回のコラムはぶらぶら猫がどういう思想の持ち主かはとりあえず横に置いて、純粋に感想記として読んでいただきたい。

 現代の日本と外国の最大の違いのひとつは、日本ではよほどのことがない限り忘れていられる武器(あるいは軍隊)がずっと身近にあることだ。日本も自衛隊駐屯地の近くに行けばカーキー色のジープやトラックを見ることはあるけれども、普段の日常生活からは武器や軍隊といった物騒なものを忘れて暮らすことができる。敗戦後の精神的武装解除により、日本人は平和憲法のもと軍隊をタブー視して生きることができた。戦争が当然であった人類史からすれば、それは画期的な出来事であったといえる。もちろん現実にはすぐに自衛隊が組織され、予算からみれば現在では世界有数の軍隊をもつ国となってしまっているわけであるし、アメリカの核の傘の下に達成された平和にすぎないとの見方もあるが、少なくとも現在の日本人の多くが軍隊をどちらかといえばありがたくないものと考え、軍人になることを誇りと思う人も少数派であろう。

 そこへ行くと、文化やブランド品の国、個人主義が徹底し、国家よりも各自の生活を大事にしていると思える(あるいは日本人がそう思っている)フランスでは、武器や軍隊がずっと身近なものとなる。7月14日のシャンゼリゼ大通りの軍事パレードにはじまり、街のここかしこにはライフルを持って立つ武装警官にぎょっとさせられるし、国のために闘った軍人をたたえる彫像や記念碑には事欠かない。国や国民を守るのは武器や軍隊なのだという、日本人には古色然と感じられる価値観がそのまま生き残っているのである。タカ派の人々がしばしば口にする「普通の国」とはこういう国のことかと納得させられる。  

 世界の紛争地域への貢献度で、いくら金を出しても感謝されない日本と、現地で命をかけて闘う兵士を出した国ばかりが感謝される国際社会の風潮を見ていると、まだまだ人類は新しい段階に踏み出したとは言えず、軍事力を当然のこととみなす「普通の国」の中で日本は「特殊な国」なのだという思いを強くする。この先、日本は特殊な国であり続けることができるのか? それとも普通の国の仲間入りを果たそうとするのか?

*筆者 藤野優哉(ふじの・ゆうや):元編集者。1999年より1年間、絵描きを目ざしてパリに留学。3月に新宿書房より『ぶらぶら猫のパリ散歩──都市としてのパリの魅力研究』刊行。2003年6月17日~7月17日にかけて再びパリに滞在。

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