そしてぶらぶら猫は行く
パリ再訪雑記

[2003/07/12]

無為のすすめ

 この季節の天気の良い日に、セーヌ河を見つめて河岸や橋の上に座っていると、いつまでもぼうーと何も考えずにそこに座っていたくなる。

 中東やアフリカなどの暑い国では昼間、広場などで何もせずにただ座っている人の姿の多いイメージがあるが(ぶらぶら猫は実際に行ったことがないので)、パリでも公園や広場のベンチに座ってぼうーとしている人が大勢いるような気がする。それも日曜や夕方だけではなく、平日のビジネス・タイムであっても。

 街のいたる所にオープンテラスのカフェがあるなど、もともと外で過ごすことを好むパリジャンたちではあるが、広場でも公園でも河岸でも、とにかく屋外でじっとしている人が日本よりもずっと多いという印象をうける。日本でも天気の良い日の公園にはもちろん人々がいるけれども、皆、何かをしている。遊具で遊んでいたり、本を読んでいたり、おしゃべりしていたり、昼寝していたりと、何か(昼寝も含めて)をしているのだ。これに対してパリの公園のベンチなどでは、ただぼうーと過ごしているような人が多いのである。もちろん彼らがほんとうにただぼうーとしているのかどうかはわからない。真剣に何かを考えているのかも知れない。

 ただ、パリの心地良い空気の中でベンチに座っていると、何も考えずにいつまでもそこに座っていたいという気持ちになるから不思議だ。日本では、家庭でも学校でも社会でも、あまりに目的を強要し過ぎはしないであろうか? 何かの、誰かのためになるからそれをやる。ためにならないことはやるべきではない。それは時間の無駄であるという無言の圧力をいつも感じつづけて生きなければならない気がする。

 パリの心地良い空気は、ただ無為に時間を過ごすこと。ただ生きてそこにあること、それだけで人生は幸せなのだということを教えてくれるような気がする。

*筆者 藤野優哉(ふじの・ゆうや):元編集者。1999年より1年間、絵描きを目ざしてパリに留学。3月に新宿書房より『ぶらぶら猫のパリ散歩──都市としてのパリの魅力研究』刊行。2003年6月17日~7月17日にかけて再びパリに滞在。

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