そしてぶらぶら猫は行く
パリ再訪雑記

[2003/07/03]

太陽劇団に日本人が立つ!!

 この春、パリ在住の日本人の友人が現代演劇の雄「太陽劇団」に役者としてデビューした。日本人としてはもちろんはじめての快挙である。その彼の晴れの舞台を、先日6月29日にパリ東郊ヴァンセンヌの森にある 太陽劇団の本拠地「カルトゥシュリ(弾薬庫)」に見に行った。太陽劇団は7月から演劇祭の行われるアヴィニョンに移動するため、この日はパリ公演最後の日であった。

 新宿書房社長と違って芝居というものに疎いぶらぶら猫は、じつは太陽劇団の存在を知ったのも見たのも一昨年夏の東京公演がはじめてで、今回が2度目。ヴァンセンヌのカルトゥシュリを訪れるのはもちろんはじめてである。

 ぶらぶら猫に芝居を語る資格はないので出しゃばったことは言わないが、いまいちインパクトに欠けたように思う。東京公演の出し物『堤防の上の鼓手』の、文楽を手本とした人形芝居を実際の人間が演じるという凝った演出が誰にでも楽しめるものであったの対して、今回の『最後のキャラバンセライユ(異邦人宿)』は紛争や移民問題という政治的メッセージ性ばかりが強く、見て楽しめる娯楽性には乏しかったように感じられたのだ。もともと太陽劇団は政治的メッセージを託した作品が多いと聞いているので本来の姿なのかもしれないが、太陽劇団を古くから知る人の話でも今回の作品はちょっと弱いという話を聞いた。ただ、公演を重ねるにつれて質が格段に上がるともいうので、また後日あらためて見る必要があるかもしれない。

 芝居の内容はともかく、芝居を見るための「演出」はとても面白い。カルトゥシュリの中に一歩入ったその瞬間からわくわくさせられる。実際に芝居を見るための舞台と観客席の数倍はあろうかという部屋の中に、食事や飲み物をとる場所や、準備中の役者の姿を眺められる場所やなんかがあって楽しめる。食事や飲み物をとる部屋の壁には大きな世界地図が描かれてあって、各地の紛争地域に煙りや炎が描かれている。北朝鮮にも薄い煙があがり「N」の文字があった。Nucléaire(核)の意味か? こうしたおおがかりな装飾は出し物ごとに変えられるそうだ。芝居以上に金のかかりそうな「芝居に入るための」仕掛けは、東京の新国立劇場にもできるだけ再現しようとしたようだが、さすが本場にはかなわない。

 せっかくの友人の晴れの舞台を見ての感想記に、いささか辛口のことしか書けなかったが、芝居についてはぶらぶら猫は素人なので、その辺は割り引いて読んでいただきたい。

 さて、パリ公演も無事に終わり、かの有名なアヴィニョン演劇祭へと出発する予定のわが友人であるが、実は行けるかどうかまだはっきりしていない。演劇祭そのものがなくなってしまうかもしれないからだ。先月から演劇や映画などといった公演物(フランスではスペクタルという)関係者のストライキが続いていて、各地のフェスティバルが軒並み中止に追い込まれ、伝統あるアヴィニョン演劇祭も開催が危ぶまれている状況なのである。はたして彼はアヴィニョンへと旅立てるのであろうか?(結果は後日ご報告する)

*筆者 藤野優哉(ふじの・ゆうや):元編集者。1999年より1年間、絵描きを目ざしてパリに留学。3月に新宿書房より『ぶらぶら猫のパリ散歩──都市としてのパリの魅力研究』刊行。2003年6月17日~7月17日にかけて再びパリに滞在。

「そしてぶらぶら猫は行く」コラムTOPへ