Vol.40

マギノ村へ(1)   [2002/05/12]

4月25日の朝、山形新幹線に乗って上山(かみのやま)に向かう。デザイナーの鈴木一誌さんと東京駅で待ち合わせをする。鈴木さんは大きな帽子を被り、小さな鞄をもって登場。パラパラの乗客を乗せた新幹線は、3時間弱でかみのやま温泉駅に到着。まわり野山はすっかり新緑におおわれ、わずかに山桜や藤の花がポツポツとその新緑の中で咲いている。どこも今年の春の足は早い。ここでわれわれは、山形から上り電車でやってくる飯塚俊男さんを待つ。

駅前のタクシーをつかまえて、マギノ村の木村迪夫(きむら・みちお)さんの家を目指す。木村迪夫さんのことを、迪夫さん自身が書いた本の略歴から紹介する。

1935年、小自作農の長男として山形県南村山郡東村大字牧野(現・上山市牧野)に生まれる。県立上山農業高等学校定時制課程を卒業。高校在学中より生活記録・詩を書く。小規模農家(稲作、果樹、養蚕)自営のあい間に建設現場での土木や左官屋の下働きを長年にわたって続ける。現在は営農の他に廃棄物収集処理業を営む(『マギノ村夢日記』より)。

1968年から三里塚に入り、空港反対運動の記録映画を撮り続けてきた小川プロダクションは、73年からの山形での上映運動をきっかけに、翌74年、上山市牧野に先遣隊が移住する。そして75年7月にはここに小川プロの全員が集まる。マギノ村での集団生活により経費を節約し、自給自足の暮らしをする、そしてすべての経費とエネルギーを映画制作に注ぐことを決めたのだ。夫婦組を含め大人16人、子供3人の大集団が一つ屋根の下で暮らし始めた。

小川プロをマギノ村に招いたのは木村迪夫さんである。そして小川プロの最期までずっと世話をみてきたのも木村さんの家族なのである。「小川プロダクションのような若い集団が来れば、沈滞したわたしの村も少しはすがすがしい風がふくんだがなあ」(「村でうたう」(16)朝日新聞山形版、1998年4月25日)と木村さんは考え、74年の春ごろ、小川監督に「農民のこころを知りたいなら、闘争も何もないこの平凡なマギノ村に来てみないか」と誘った。小川プロの移転先は木村迪夫さんの隣家の空き家だった。木村宅から10メートルも離れていない、地続きの本当に目と鼻の先にあった。

今回、木村迪夫さん宅に同道していただいた飯塚俊男さんは元小川プロのスタッフで、22年間小川監督のもとにいた。現在、映像記録のアムールの代表をしている。飯塚さんは、1991年に完成上映された、第1回山形国際ドキュメンタリー映画祭(1989)の記録映画『映画の都』の監督を務めたあと、小川プロを離れる。

木村迪夫さんはかつて飯塚さんのことを次のように書いた。「それにしても、助監督はなんと過酷な仕事なのであろうか。小川プロダクションのマギノ村でのくらしと製作活動を傍き見しながら、わたしはそのことを実感した。飯塚さんは、当時まだ幼かった子供たち、奥さん共々に住民票まで上山市に移し、村ぐらしの扶役も、講も、葬式組合の仕事までも勤めあげた。田作りの先頭にも立った。マギノ村の人びとは、飯塚さんの日常を評価することによって、はじめて小川プロダクションを村びととして認知するようになったと言っても過言でない」(前掲『マギノ村夢日記』より)。

マギノの集落には「小走り」というシステムがある。村中の各戸が日替わりで隣組への連絡や雑役を務めることになっている。「小走り」は主に飯塚さんの仕事であった。こうして、小川プロのスタッフは村の住民としての生活を始めた。

小川紳介監督が亡くなって10年。小川プロ作品管理協議会解散が1999年。木村さんの隣にあった小川プロの萱葺き屋根の農家の建物も壊され、更地となった。今やここには小川プロを思い起こすものはなにもない。ただあるのは、村の人々の心にずしんと残る記憶と村をあげて協力した2本の長編ドキュメンタリー映画だけである。

小川プロを村に引き入れた木村迪夫さんから、一度じっくり話をきいてみよう。移住当時は、村の反応はどうだったのだろう。木村さんの家族も最初は小川プロ移住に大反対だった。どうやって小川プロは村の中に溶け込んでいったのか。木村さんの目を通した「村に小川伸介がやってきた」ことの顛末を語ってもらおう。こんなことを考えて、その聞き役には飯塚敏男さんがいい、というのが今回の山形上山訪問の目的だった。(この項続く)

参考URL:
飯塚俊男
http://homepage2.nifty.com/pangaea_film/pangaeaeiga/iizuka/iizuka_keireki.html

小川プロダクション
http://www01.u-page.so-net.ne.jp/ta2/hiro/tosiohome/7.html

参考文献
木村迪夫『マギノ村夢日記』、2000年、山形婦人新聞社

映画新聞編『小川紳介を語る』1992年、フィルムアート社

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