vol.32

四谷三栄町耳袋(9)   [2001/12/19]

どれも亡くなった人、なくなった会社の話になる。

百万本の蝋燭に火をともそうとした人

如月小春さんが亡くなったのは2000年12月19日。ちょうど1年が過ぎた。彼女の人と作品、仕事をまとめる2冊の本を先日出したばかりだ。一つは『如月小春は広場だった』、もう一つは『如月小春精選戯曲集』。奥付の発行日は彼女の命日。14歳の成蹊中学時代の写真を含め、写真満載。

『如月小春は広場だった』は副題に「60人が語る如月小春」とある。すでに御覧になった方は実際に数えられたかもしれません。巻末に「不在のリアリティー」を書いた、小春さんのパートナーだった楫屋一之さん(NOISE、世田谷パブリックシアター・プロデューサー)を含めた正60人が、それぞれかかわりのあった分野から如月小春論を書き下ろしたものだ。オマケとして彼女の代表的なエッセイ10本を再録した。

赤崎正一さんの見事な造本とあいまって、演劇を軸にマルチな才能を発揮した如月小春さんの全体像が鮮明に浮かび上がる本となった。彼女はさまさまなジャンルでコラボレーションを実践し、そして志半ばで斃(たお)れた。まさに「強風波浪注意報のさなかに百万本の蝋燭に火をともそう」と獅子奮迅の努力をしている時に、彼女は逝ってしまった。

それにしても、本書巻末の詳細な「如月小春年譜」(作成/森直子・楫屋一之)を見てほしい。彼女はどこからも逃げもせず、すべてを受け入れて、しかも手を抜かず、真面目に取り組んだ。人と人を繋げ、集わせる、小春日和のような広場を設けようといつも必死だった。それらが結局彼女の身体を次第に痛めつけてきたことが、よくわかる。彼女を失ったことは非常に大きいが、遺していったものもまた大きい。

『如月小春精選戯曲集』は如月小春さんが、25年の間に書いた50本あまりの戯曲から時代ごとに6本の代表作を精選したベスト作品集。収録した作品は、『ロミオとフリージアのある食卓』(1979)、『家、世の果ての……』(1980)、『MORAL』(1984)、『MOON』(1989)、『夜の学校』(1992)、『A・R ― 芥川龍之介』(1993)の6作品。口絵には上演写真、各扉には上演ポスター、巻末には公演記録、ワークショップ記録、如月小春全戯曲・演出リストが付されている。また、外岡尚美によるていねいな作品解説、西堂行人による解説もある。

低い姿勢で 腰をおとして
小さく 小さく 更に小さく
膝をつけ 耳をふさげ
首をあげて しっかりあげて
前を見ろ
口をあけて 大きくあけて
笑え 笑え もっと笑え

(『如月小春精選戯曲集』エピグラフ。『夜の学校』より引用)


最強のクロニクル編集者の戦死

西井一夫さんが、11月25日に亡くなった。このコラムでも取り上げたことがあった。(三栄町路地裏だよりVol.19)すざましい闘病生活の果て、とうとう死んでしまった。西井さんとは結局、本を一緒に出すことはなかった。ずいぶん前に昭和という時代をシリーズで考察しようと「モダン・イコノロジー」双書を企画したことがあった。結局、実現したのは、井上章一文、大木茂写真、鈴木一誌造本の『ノスタルジック・アイドル 二宮金次郎』のただ一冊のみであった。

そのシリーズで幻に終わった何冊かの一つが、西井一夫著『煙突』であった。明治の官営工場、札幌のビール工場、煙突男、お化け煙突、映画の中に描かれた煙突などなど。打ち合わせと称して、毎日新聞のなかにある喫茶店で昼間からどのくらいビールを飲んだろうか。結局1行も書いてもらえずにとん挫してしまった。

西井さんの『カメラ毎日』時代は知らない。しかし、新宿にあったバー、花嵐館の前の道を夕方になると打ち水をしていた彼を知っている。1985年以降のクロニクル編集者、写真がわかる編集者、記憶の歴史編集者として、西井さんの仕事は、後世まで語り継がれるに違いない。お通夜、お葬式とも如月小春さんの本の追い込みで行けなかった。印刷所のミスもあって、動けなくなってしまった。中央線の最終電車の窓から線路脇にある荻窪のお寺に手を合わせた。

しばらくすると、奥様の配慮だろう、西井さんの最後の本『20世紀写真論・終章』(青弓社、造本・鈴木一誌)が送られてきた。本を開くと、「謹呈 著者」の短冊が。死んだ人から本を贈呈されたのは、生まれて初めてだ。奥付を見ると、11月15日。間に合ったのだ。まさに「サラバでござる」(同書「さらなる後記」より)。癌発見が今年の1月。それから、初出の文章に手を加える作業がどれほどつらいことだったろう。そしてこれが本書のウリなのだが、ともかく面白いのが、各章末尾にある書き下ろしの注記。これを読むだけでもいい、買って損はない。クロニクル編集部の戦友、今泉巳知江さんを回想した文章には泣かされる。かつてこれ程の悪筆のものもみないとまで言われた、西井一夫の文章がとてもいい。うまい。

2001年1月6日の正月。銀座のビアホールの広間に数百人をあつめ、西井さんの「毎日新聞卒業式と吉野の山奥に送りだす歓送パーティ」が行われた時、だれが11月25日の彼の死を予想しただろうか。本人さえ考えもしなかったはずだ。西井さんも過労死だ。如月小春さんも過労死だ。でも二人ともいい仕事を遺した。

最後にそのパーティで、西井さんが参加者に配った栞の「感謝のことば」を再録しよう。西井さん、サラバ、また会いましょう。

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○スニュースの休刊

人文・社会科学系の書籍取次「鈴木書店」(○ス)の倒産については、マスコミでもさんざん報じられてきたので、ここであえてふれることもないが、新宿書房は1970年の創業以来お世話になってきた取次なので、なんともいえない気持ちだ。合掌。○スニュースの井狩春男さん、そして、店売のおじさん、レジのおばちゃん、お世話になりました。昨年の営業所の神田村から板橋移転で○スは終わったとは思っていたが、でも残念だ。

11月29日の300社以上の出版社を集めた「鈴木書店債権者会議」が、単なる翌30日の11月分支払いの36パーセント支払い留保お願い集会に変わり、再建の道筋は不透明となって、雪崩をうって各出版社が出荷停止に動いた。翌日以降に知らされたこと。主要取引出版社の協力が得られず、再建策は宙に浮き、万策尽きた、というよりすべてを投げ出した会議だったのだ。われわれ零細出版にはなにも知らされていなかった。しかし、会場では緊迫感はなにもなかった。実は主要各社は早くから鈴木撤退を準備し、実施していたのだ。未来のない延命より、安楽死を選んだのだ。新宿書房は12月6日の新刊『如月小春は広場だった』『如月小春精選戯曲集』の見本を井狩さんのところにもっていかなかった。鈴木書店は翌7日、自己破産の申請をした。

新聞報道では、毎日新聞の記事(12月14日6面、同18日25面)がよくまとまっていると思う。確かに高正味の問題が大きいが、実は岩波に代表される教養書が極端に売れなくなったこと(実は鈴木が得意とする本が出版されなくなったこと)、読まなくても「生きていける」時代、社会になったのが、鈴木書店倒産の背景だ。教養書が売れないだけでなく、著者も書かなくなり、出版社もそういう本を企画しなくなった、まさにわれわれみんなが抱えている問題なのだ。

先日、井狩春男さんの自宅に、個人的に新刊の見本を送った。鈴木書店のみなさん、がんばって年を越そう。

参考URL 
まるすニュース 
http://www.senmonsho.ne.jp/exp/marusu_new.html

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