vol.25

山尾三省 (3)  [2001/09/19]

「屋久島が生んだ世界の偉人、山尾三省先生のご遺体をこれから火葬場にお連れします」と霊柩車の運転手があいさつ、一礼して、ドアを閉める。この時初めて、摺り鉢状の斜面に立ち尽くす人々の姿を見上げることができた。親族そして集落、村、島外から集まった人々。礼服の外にふだん着の人も多い。そして若者の姿が多い。半ズボン、黒いTシャツやランニング姿や農作業着の人。しかし、みなそれぞれの弔意を身体全体で現していた。およそ200人は超えると思われる人々(『南日本新聞』によれば約400人)が、一つの気持ちになって、静かに三省さんを見送っていた。悲しみだけでない、なにかそこにかたまりというか力を感じた。

みんなの前を霊柩車がゆっくりと下がっていく。先ほどの運転手のその物言いが、自分のこころの中に素直にしみ込んできた。そう、大事なものが失われたと同時に重いものがいま残されたと確信する。親族の乗り込んだ大きなバス1台が続く。残った人々は山道を歩いて、下に駐車してあるめいめいの車に向かう。私も山渓の三島さんとワゴン車に同乗させてもらう。

私の隣の席は、白川山(しらこやま)の住民で手漉き和紙職人の小林慎一さんだ。彼も屋久島に住み始めて18年になるという。火葬場へはたっぷり一時間以上かかった。途中、小林さんにいろいろ、島の説明をしてもらう。

火葬場は山道を上り詰めて、行き止まりのところにあった。まわりには集落がない。看板には「国民年金特別融資施設屋久島火葬場(屋久島衛生処理施設)」と書いてある。火葬の係の人はだだ一人で、制帽などはかぶらず、理科の実験用の白衣のようなものを着ている。読経のあと、みなが焼香を済ますと、火葬が始まり、建物の横にある低いエントツからすぐに黒い煙があがる。三島さんが、すごく生々しい火葬場だなと呟く。

火葬場の前は小さな広場になっていて、横に遺族や参列者のための休憩所が建てられている。配られた缶ビールを握って立っていると、一人の青年が近づいて挨拶する。「兵頭です。前に新宿書房でアルバイトをさせてもらいました。いまはここにいまして、今日は取材をしています」。差し出された名刺には、「南日本新聞社屋久島支局記者 兵頭昌岳」とある。出版関係に就職したいという彼の願いに何の手伝いもできなかったが、彼はいまはりっぱな記者となって、目の前にいる。

兵頭さんの父は兵頭昌明さんといい、廃村になっていた白川山の集落に三省さん達が定住出来るように尽力した人だ。その後長く「屋久島を守る会」の代表として、三省さんらとともに、島の西部にある原生照葉樹林帯の伐採に反対してきた。今日は三省さんの葬儀委員長をつとめている。

長井三郎さんに、10年振りに会った。島出身で東京の大学を出てからここに戻って、当時は島の文化雑誌の編集をしていた。今は民宿を経営しているという。彼の話から、同じころ、中垣信夫デザイン事務所を辞めて、屋久島にわたり、木材センターに勤めながら、デザインの仕事を始めていた及川さんのその後の消息もわかった。彼は結婚して、屋久町のクラフトセンターでデザイナーとして大いに活躍しているそうだ。

初めて屋久島を訪れたのは、2冊目の『回帰する月々の記』を出した後だ。この本は、読んでいただくと分かるのだが、三省さんにとって、大きな出来事が一冊の本の中を縦断している。冒頭の「晩御飯」で始まる島の日常は、妻順子さんの突然の死で急変する。順子さんを愛した三省さんの悲しみが綴られ、一つの文に織り込まれていく。そして、「色即是空空即是色」の文章で読者は愕然とする。三省さんの悲しみの深さに胸が衝かれる。

 夜更け、まだ墓がないゆえにそこに骨が安置してある書斎兼礼拝室の離れに行さ、久し振りに白布に包まれた彼女の、二つあるうちのひとつの骨壷を取り出し、その最上部に置かれてある頭蓋骨の一部を食べた。焼場の人が、ここが一番大切だからと、足のほうから順に拾うことを指示してくれ、最上部に頭蓋骨の円い部分をかぶせておいたものである。
 彼女の骨を食べたのは、火葬したその夜とそれから初七日が明けた夜と合わせて、今度が三度目である。
 最初の夜と初七日の夜には、ひとかけらも残さぬようにとて二つの骨壷に納めてきたもののうちの小さいほう、つまり正規の大きい骨壷に納め切れなかったほうから取り出して食べた。焼場の人がいう一番大切な部分を食べることは、なにとはなしにはばかられたからである。
 けれども今回は、なぜかは分らぬがその一番大切な部分を食べたくなり、手のひら一杯の大きさの円い骨から一センチ四方ほどをかき取って、観音様の前に正座しつつそれをゆっくりと食べた。骨は焼け切れていて、部分的にピンク色をしており、せんべいのように軽く、カリカリと口の中に砕けて粉となった。少し塩からく、海の味がした。順子は、女の人というものは、骨になってまでも海の味をその内に宿している、という、有難い感触があった。以前の二度の時は、淋しくて淋しくてただがむしゃらに食べたので、それを味わう余裕などなかった。それからほぼ九カ月経った今は、淋しいことは以前にも増して本質化してきながらも、そのことに馴れることも習い、ゆっくりと骨を味わうこともできるようになったのだろう。骨はまだ二つの骨壷いっぱいにあるのだから、少しずつ食べるならば、僕が生きている間じゅう持つかも知れない、ふとそんなことを思ったほど、海の味のするその骨はおいしかった。

そして、「あとがき」で読者はもっと驚かされる。あれからまもなく三省さんが春美さんいう女性と再婚して、早くも子供まで生まれているのだ。これを読んで、本気で怒った編集部の女性もいた。この時、かなりの女性の三省ファンの間に動揺が起きたに違いない。順子さんを知る友人たちの間でもそうだろう。

島に来た翌朝、6時ごろ春美さんの用意してくれた朝御飯をたべ、三省さんの運転する軽トラに乗って、私たち二人は縄文杉をめざした。車を停めて、森林鉄道の軌道の上を二人で歩く。三省さんの足は早い。私は枕木の間隔に歩幅を合わせるのと、三省さんのスピードに合わせるのに忙しい。梅雨の季節だったようだが、青空が左右の山の間に大きく広がっていた。時折、滝のように線路の上に降り注ぐ川水で顔を洗ったり、飲んだりした。

ひたすら、歩く。ほとんど無言で歩く。聞こえるのは、鳥の声と川の水音だけだ。縄文杉に会うには、往復8時間かかるのだ。道中、ほんの数人にしか会わない。かつては映画館もあったという小杉谷の営林署の跡地を通る。桜並木のグランドだけがわずかに小学校があったことを伝える。その土手の上で三省さんとお茶を飲む。ようやく会えた縄文杉は周囲が無残に伐採され、まる裸で原野にぽつんと立っているようだった。三省さんは縄文杉の肌に手を触れ、読経しながら、回りを数回まわる。一般に紹介されたのが1966年なのに、縄文杉の肌は皮が剥がされていたりして、そうとう荒れている。根元に塩を盛っていった者もいる。(1)

(1) 今度泊まった民宿に置いてあった「YAKUSHIMA マナーガイド」(屋久島山岳部利用対策協議会発行)をみると、縄文杉の周辺はもっとすごいことになっている。周囲は立ち入り禁止になっていて、登山者は展望デッキから縄文杉を眺めることになっているようだ。

屋久杉からの帰りも早かった。それでも麓に帰ると既に日が傾いている。白川山へ帰る途中で鉱泉に寄る。夕暮れの湯船につかる。三省さんは小柄だが骨太の逞しい身体をしていた。湯気の中で眩しいほどだった。生活者、農民詩人にふさわしい身体だった。うまくいかなかった結婚や子供のことをうじうじ引きずっていた自分に比べて、三省さんは、生活の達人だな、と思った。三省さんの言葉を思い出す。

「私の一生は子育てですよ」とポツリと言われた。このことはどこかにも書いている。そう、三省さんは家族の生成と磁場の中から、ことばと思索を紡いできたのである。順子さんと春美さんと9人の子供たちの力によって、三省さんは生きてきたのである。

今ここに、『日没国通信』の第11号(1985年7月30日発行)がある。新宿書房の小冊子だ。『縄文杉の木蔭にて』にはさんだ月報だ。ここに三省さんのエッセイ「十度目の梅雨を迎えて」が収録されている。この文章は、「生活者」三省さんの一つのピークを示すものだ。どこにも収録されていないようなので、ぜひ読んでほしい。いい味がでている。その文章の前に囲み記事で三省さんの紹介をしている。

山尾三省 1938年生まれ
伝説の人である。そして実践の人でもある。早くからのコミューン活動、インド巡礼、無農薬野菜の八百屋、そして屋久島での百姓。我々が高度成長に酔い、政治の季節を迎えていた時代から、すでに人間の寂しさと哀しさを知り、心豊かに暮らすことを追求してきた人である。

いま読むと、気恥ずかしくなる文章だが(文責・村山)、内容に間違いはない。しかし、それでも我々はそれから数年してバブルの時代を謳歌したのである。私はバブルの恩恵を一切受けなかったし、その才もなかった。しかし、ある晩出版のビジネスのあまりの小ささに失望して、この仕事を捨てようと思ったことは、正直にいうと実はあった。その後、我々が泡の中で躍り狂っているあいだに、屋久島から世界を見つづけた三省さんは、ゆっくりとアニミズムの世界にたどり着いている。

火葬場から白川山の集会所に戻り、初七日の法要が終わった午後4時ごろ、隣の種子島から、宇宙開発事業団の新鋭主力ロケットH2Aが打ち上げられ、成功したことを後で知った。まさに三省さんの魂がアニミズムの一部に還った時である。そう、三省さんは縄文杉から解放されて、一つの石ころになり、一本の草となった。

参考URAL:

屋久杉ランド http://www.minaminippon.co.jp/2000yakushima/yakusima.htm
このサイトで三省さんの「聖老人」が読める。

『風月堂』芳名録  http://www.geocities.co.jp/Hollywood/2950/masara_tea.html
このサイトで三省さんのかつでの仲間、ゲーリー、ナーガ、ナナオのことなどが、主観的に綴られている。

ナワプラサード書店 http://www.nabra.co.jp/hobbit/9811/np2_98_1.htm

南日本新聞社 http://www.minaminippon.co.jp/
       

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