十度目の梅雨を迎えて
山尾三省
梅雨の雨が降りやんだ合間を見て、一湊(いっそう)の滝の見える畑へカライモ(サツマイモ)苗の植付けに行った。
例年のごとく、周囲の他の畑はすべてカライモの植付けは終り、これから植付けようなどしているのは僕の例の畑だけである。一湊の人達は前作に何も作らず、一年に一作カライモを植えるだけだが、こちらは前作にじゃがいもをやっているので、その分だけ作業は遅れてしまう。言訳はあるのだが、それでも他の人達がすべて植え終っている周囲の畑の中で、今にも雨が来ぬかと気にしつつ作業をしていると、自分がやっばり駄農であることが自覚されていささか面映い。
妻がススキやカヤの青草を刈り、それを敷込んでその上から鶏糞をふりまく。僕がその後から畝を立てて行く。四歳の道人は裸足になって、ミミズを見つけたりテントウ虫を見つけたりして遊んでいる。畝を立てて行くと時々前作のじゃがいもの掘り残しが転がり出してくる。それを拾い集めて袋に入れるのも道人の領分である。
今年のカライモ植えの特徴は、例年と違ってその苗が自家苗である点である。例年ならば一湊の人達の植え残りの苗をもらうのだが、今年は自分の所で苗床をこしらえた。自分で苗床をこしらえるのはむろんそれだけ大変なのであるが、それだけ楽しみも深くなる。大変さと楽しみとは、いつも同行二人の編傘をかぶっているのだが、その事に気づき実現できるまでには、それだけの年月が必要である。
正午過ぎ、もう一息で畝立て終りという所まで来た時に山に白い霧が走ったと見る間もなく雨が来て、妻と道人は車に逃げ込み、僕は近くのヤブに逃げ込んだ。僕も車に逃げ込めば、時刻も時刻なのでその日の作業は終りということになる。それではもう一息の所まで来た畑が、あまりにも残念である。ダンチクという、竹に似た丈の高い草のヤブで、雨が過ぎるのを待った。予想どおり、雨は五分もすると過ぎ、僕は残りの畝を立て終えて、車に戻った。
しかし、それを見ていたかのように雨はまた降り始め、その日の午後ついに止むことはなかった。雨と僕とのかけ引きで、その日は僕の勝ちだった。いい気持だった。いい気持だったので、車を山に向けずそのまま一湊の町なかに向けて、この部落に唯一軒だけある飲食店のラーメン屋に入った。二年ほど前に始まったラーメン屋で、一湊でそんな店がやっていけるのかと見守ってきたが、不思議につぶれもせずにいる。
その店に入るのは一年振りくらいのことで、妻と一緒にラーメン屋に入るのも一年振りくらいのことであった。畝を立て上げ終る寸前の雨とのかけ引きに勝った満足感が、僕をしてラーメン屋の戸を開けさせたのであった。
久しぶりのお店のラーメンはおいしかった。二人前注文したのに、三人目の道人用のお椀にもゆで玉子の一切れを小母さんは入れてくれた。その一切れに、僕達をよそ者としてではなく、部落共同体の一員として迎えてくれている小母さんのさりげない心があった。
午後は雨で畑の仕事は出来なかったが、上下の雨合羽を着て、山羊の草を刈り、東京の友人から栽培委託された霊芝という薬用茸のホダ木を組み立てた。
奥岳に自生している縄文杉のはるかな木蔭に住んで、十度日の梅雨を迎えている。年々に、小さなことが楽しみとなり、有難く身に沁みてくる。
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