vol.1
目録ができた![2001/05/01]
新宿書房の最新目録が4月末にできた。房主がこの新宿書房を引き継いで20年、「背のある」初めての図書目録である。いままで、図書目録というのもがなかったわけでない。出版を始めると、だれでも最初の3年位はそれは熱を帯びたことをする。まだろくに点数もないのに、二つ折や三つ折りの図書目録を作ったり、原稿を頼んで月報をつくり、新刊書の中に挟み込む。新宿書房では、最初に『百人社通信』。
少し、説明すると房主はこの新宿書房を引き継ぐ前に、たった一人だが百人社という非法人の個人出版社を作り、ここで本を3点出版した。そのとき、新刊書に挟み込むために発行したのがこの『百人社通信』。題字をまだ岩波書店に勤めていた編集装丁家の田村義也さんにお願いし、活版印刷は理想社(当時は理想社印刷所)。創刊は1981年6月15日で、百人社の事務所は西新宿の東京ガスのタンクがまだあったころの杉本ビルの6階だった。
3号までの筆者には、これから執筆をお願いしようとしていた、山口文憲さんや野本三吉さん、佐々木守さん、江原恵さん、安宇植さん、酒井忠康さん、大塚和義さんなどが登場する。いまながめてもなかなか風合いのある出来である。しかし、最終的に単行本にまで行き着いた企画は少ない。
それから、新宿書房になって、題号は『日没国通信』に変わる。これは、1982年に刊行した原秀雄さんのユートピア大長編『日没国物語』にあやかって、小さな小冊子だが、ここから静かな声を遠くまで長く発信しようと考えて命名した。さらにそのあいだには、すべて手書きで、書評や紹介記事をのせた書店向けの冊子「日没国通信かわら版」が、毎月のように発行され、書店から注文があった本に挟み込んだり、DMで出したりした。当時はすべての注文出庫を新宿書房の事務所からみんなで手分けしてやっていた。
こうした、月報やかわら版やチラシは熱心な人がいれば、持続される。しかし、3年ぐらいやると、だいたいすべてのことをやりつくし、人もやめていく。はっきりした効果や反応がないと人はすぐやめてしまう。その後も、何回か、簡単な図書目録は作られたが、ここ5年は、B4判2枚程度の書店向けの注文書でお茶を濁してきた。
この背のある、りっぱな最新目録はふたりの若い女性がいなかったら、日の目をみなかったろう。そして彼女たちのスキルによって、信じられないほどの安い費用で出来た。彼女たちは文章の執筆から組版まですべてやってくれ、同時にホームページまで立ち上げてくれたのである。この目録は、どこからでも、どうやってもいろいろな方法で、本が検索できる、わかりやい、とお褒めの言葉をいただいているが、それは彼女たちのマルチプルな発想が紙にもオンラインにも生かされているからに他ならない。
[vol.2
目録ができた!(続)につづく]
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