vol.2
目録ができた!(続)[2001/05/08]
この目録を作りながら、だんだんその構造は社史の風貌を帯びてきた。品切れ書一覧、発行年別リスト、協力者一覧を見ていると、さまざまな事が思い起こされる。ほんとうに小さな社史が出来上がった。
何人もの社員が去り、何人もの著者が亡くなっている。ブックメイキングもプロダクションも大変貌だ。もう活版印刷が出来なくなったと、印刷所から本一冊分の紙型が入った段ボール箱が届いたのはいつの頃だったろう。その紙型も処分した。刷り本を撮影したほうが簡単なのである。おっと、いまやフィルムも危なくなってきた。
いろいろな方から、この目録へのリアクションがあった。「ほんとに長い歴史があるのですね」「いろいろな本をだしておられるますね」というのから、「よくやってこられましたえね」「徹底的にマイナーですね」や「見事にベストセラーをはずしてこられましたね」というコメントもあった。
どれも結果からみれば、正しいコメントだが、当事者からいえば、なにも最初からマイナー狙いでも、ベストセラーをはずした企画を考えてきたわけでもない。いまでもベストセラーは欲しいし、新刊を出すたびにその1週間はそれは甘美な妄想抱く、夢さえみる。しかし今まえにある結果はすべて、房主の企画能力のなさ、房主が他の編集者の背中をがむしゃらに踏み越えて先に進む自己中心的な体力と他人のことなど考えない精神を持ち合わせていないことに起因する。
気が弱いのである。本を出すのは、人の迷惑を自覚しない、パクリを恥じない、強靱の神経がいる。わたしなど、今でも本屋に行くのが怖い。ピカピカにひかり、肩肘はった挑発的な新刊の本の山を見るたびに、どんどん編集者としてのエートスが萎えていく。だから、本屋には行かない、そうすれば、これやられた、あれやられたと気落ちすこともない。
また、著者を囲む担当編集者の集まりも苦手だ。企画を思いついても、誰かがやるだろうと、著者になる人への接触をあきらめてしまう。そういう事を言っていると、いきおい著者は初々しい無名の方々が多くなる。先日も大手の編集者にこういわれた。「村山さん、ほんとうにすいません。せっかく苦労して本を作られた著者のかたを次々こちらが取ってしまって」。たしかによくやるよとも思うが、わたしにすれば、著者が売れていくことは楽しいし、とりわけ小部数、つまり印税で著者にいつも迷惑をかけてきたので彼らの活躍が本当にうれしいのである。
さて、図書目録に話を戻そう。いま注目している目録は刀水書房の目録である。これは、みすず書房のPR誌『みすず』が毎年1月号でやっているように、冊子の前半がPR誌、後半が図書目録、つまりPR誌と目録の合体である。これはいいアイデアである。
それと、月報では新宿書房が3年でやめてしまったのに、創立10年たった現在も、いまだ若き熱意をもって新刊ごとに刊行を続けているのが、風行社(Tel.
03-5366-6820)の『風のたより』である。最新号の13号には新刊の『新・市民社会論』のレビューなどが掲載されている。その13号の月報は新刊『ヘンリー・ソローの暮らし』に挟まれて読者に届く。出版は信念の仕事であり、やせ我慢の仕事である。
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