2014年。この春NYでは、再びルーマニア映画が話題だ。
まず、毎年春当地のリンカーン・センターとMOMA(近代美術館)共催で開催される「新しい監督・新しい映画」特集(www.newdirectors.org)である。かつて日本映画では『家族ゲーム』『タンポポ』『ゆきゆきて、神軍』『1999年の夏休み』などがデビューして米国での配給が決まったこの特集、今年は日本からは選ばれた作品がない。昨年もなかった。しかし、ルーマニアから2本、しかもこの2本が私の周囲では一番評判が良かったのだ。2本のうち特に『日本の犬』は、全員が推して賞賛していた。
『日本の犬』
『日本の犬(The Japanese Dog/Cainele Japonez)』は29歳のクリスチ
ある日、その息子が突然帰宅する。しかも日本人妻ヒロコと8歳の孫コージを連れているのでコスタチェは驚く。しかしヒロコもコージもルーマニア語を何とか喋れるので、彼らは次第に家族としてうちとけてくる。コージは母方の祖母からもらったというロボット犬を大事にしている。ここで観客は、映画の題名の由来を知るのだ。
日本の生活に慣れ親しんでいる息子は村に帰る気がなく、そのことで父と言い争いをする。しかし親子は、酔って仲直りする。いよいよ短い滞在が終わって息子家族が出発するとき、コージがロボット犬を祖父にあげる。ここで私はさすがに涙してしまったが、再び戻った静かな生活の中で、コスタチェは英語を喋って細かい動きをするロボット犬を一人で操作しては眺める。そしてスーツケースを持って近所の人々に見送られ、多分日本へ旅立つ彼の姿で映画は終わる。
コスタチェを演じたのはルーマニアを代表する名優ヴィクター・レベンギウツであるが、上映後の質疑応対でジュルギウ監督は、舞台で演ずることが多いこの俳優は台詞の少ないこの役に最初は戸惑い気味であったと述べた。劇中音楽がなくて、虫や鶏の声が響く音響設計がよかったという観客の感想に、監督は音についてはこだわっていて、虫や鶏の音は実際よりも音響を大きくしていると答えた。どこで撮影したのかという質問には、自分の祖父母の出身地の地方で、実際には5つの村で撮影したという。
製作者から日本とルーマニアの文化の違いを強調してそこから笑いをとるようにしたらどうかと言われたが、それには反対で、自分はシンプルなストーリーから浮かび上がるものを描きたかったと監督は述べた。この29歳の監督、恐るべしである。
チラシの映画解説では「日本映画、特に小津安二郎の『晩春』と『父ありき』を思い起こされる」とあった。これはまったく筋違いというわけでもないが、ちょっと疑問だ。こういう文章を書かなければ、このような地味な作品には人が来ないだろうという人寄せパンダ的惹句としておこう。日本映画ではなくても、台詞が少なく、自然の音が頻繁に使われ、人々の関係がじっくり見つめられる映画は世界各国にある。むしろ私が連想したのは、画家がレモンやモデルをじっと見つめながら絵画を製作する姿を描くジャック・リヴェットの『美しき諍い女』や、陽光の中で会話し、ゆらめくように動き回る男女が明るく輝くエリック・ロメールの作品だった。いずれも映像でなければ表現できないリズムとか呼吸とか雰囲気の魅力を感じさせるものだ。
『証明されるべきこと』
2本目は、『日本の犬』とはまったくスタイルもテーマも異なる『証明されるべきこと(Quod Erat Demonstrundum)』である。監督のアンドレイ・グルシュニツキは1994年に大学の演劇学科を卒業している。なるほどこの映画は、古典演劇的にきっちり考え込まれた台詞や人物設定、構成を感じさせる。
この映画の舞台は1984年のルーマニアだ。ソリン(ソリン・レオヴェアヌ)は優秀な数学者だが、共産党員でないために大学での昇進を阻まれている。長いものには巻かれよと上司は助言するが、ソリンは頑なに拒否している。しかし自分の才能が評価されないことに不満なソリンは、アメリカの学術誌に論文を発表し、そのことで秘密警察の調査の対象になる。この件の担当になったヴォイカン(フロリン・ピエルシツ・ジュニア)も秘密警察の中での自分の地位に不満で、当件の解決が出世の糸口になると上司に言われて、必死に取り組む。
ヴォイカンはソリンの同僚や上司に会っていくが、皆が口をそろえてソリンの才能を賞賛する。ヴォイカンが解決の糸口としようと目を付けたのは、フランスに亡命した夫のもとに12歳の息子とともに移住する申請を出しているコンピューター技師のエレナ(オフィリア・ポピイ)で、彼女を心理的に追い詰めることで、彼女に想いを寄せるソリンを陥れようと画策する。エレナとソリンは固い友情で結ばれていたが、次第にこの二人の関係がどうなるかというサスペンス的展開になる。
秘密警察の上司はヴォイカンに、職場の人たちと定期的に行く釣りに参加するように何度も言うのだが、これはヴォイカンの他人と交わらない孤独な生活ぶりを強調するものであろうか。ヴォイカンは離婚した妻と復縁したいのだが、元妻は秘密警察の仕事に没頭するヴォイカンを完全に見限っている。
ソリンは何かと自分の生活に干渉してくる母と二人暮らしだが、一方エレナは心臓の弱い70歳の父と息子の三人暮らし。その父は海外に行ってしまったエレナの夫についての愚痴が多い。チェウシェスク独裁下の庶民の生活は、何とか現金をひねりだそうとジャムを作ったり、海外から送られる品物が貴重品となる様子によって細かく描写されていく。ガソリン不足でガソリン・スタンドまで車を押す人々の列も衝撃的だ。
エレナはフランスへの移住申請が条件付きで何とか認められるが、祖国を裏切って海外に行くということで職場の集会で非難されて共産党から追放され、信頼していた親友にも裏切られる。ここでヴォイカンに協力するかどうか悩むエレナの焦燥感が、廊下を歩く彼女の顔を手持ちカメラで捉える正面からのクローズアップで強調される。
上映後の監督との質疑応答で、この作品は共産党独裁下の東独の秘密警察の仕事の詳細を描く『善き人のためのソナタ』(2006)が思い起こさせると、司会のリンカーン・センターのキュレーターであるギャヴィン・スミスが切り出した。グルシュニツキ監督はその映画の描く社会も1984年に設定されていたので、自分も同様にしたと答えた。また自分は最初技術系を専攻していたので主人公を数学者にした。また、叔父が西側に亡命していたのでエピソードの一部は、自分の見聞きした体験に基づいているという。
監督はさらに、監視する側が監視される対象である数学者の価値を理解していないところにドラマがあると思ったと述べた。秘密警察のヴォイカンはソリンの友人や同僚に彼の研究の意義を聞いてまわらなければならないのだが、実際にソリンの研究は国家にとって有益なので、ソリンは生き残るだろうとも監督は主張した。
なぜモノクロの映画にしたのかという観客からの質問に、自分が覚えている当時の独裁時代が灰色だったからだとの答え。TV放送は毎日2時間しかなく、首都ブカレストでは隣国ブルガリアの放送を人々が見ていたそうだ。1980年代の再現は、自動車や人々の服装については比較的苦労しなかったが、当時の大がかりなコンピューター設備の再現には手がかかったという。確かに壁の大きな機械とつながっている丸っこくて厚みのあるコンピューターをスクリーンに見た時、ああ、あの時代のものだなと強烈に80年代を感じた。
『セカンド・ゲーム』
「新しい監督・新しい映画」特集の後、リンカーン・センターで「リアルなアート」という特集が始まる。ドキュメンタリーという定義をもっとも広げたノンフィクション映画を紹介するという当企画は、今後毎年開催されるそうだ。オープニングの日に上映される2本のうちの一つに選ばれたのが、『セカンド・ゲーム (The Second Game/Al Doilia Joc) 』だ。
これは、コーネリウ・ポルンボイウ監督が、1988年12月3日のルーマニアでのサッカー試合の審判を務めた父アドリアンと、その時のTV中継のビデオを見ながらコメントをしていくものだ。あと1年あまりでチェウシェスク独裁政権が倒されるという時だ。雪の中の試合をするのは、軍隊のチームと警察および秘密警察の混成チームというという父の説明のところから、あれあれっと思う。秘密裡に人々の生活を探る、という仕事をするこの人たちは、観客に顔を見られて大丈夫だったのだろうかという疑問も、ちらっと私の頭をよぎった。父は自分に関するすべての情報が調べ上げられていたことを知っていたという。試合前に両方のチームからの訪問を受けてプレシャーを感じた父は、フットボール協会に赴きその話を始めると、相手は明らかに当惑して「声を低くしてくれ」と頼まれた父。彼が自分たちの訪問を協会に伝えたことを知った両チームとも、それ以上のことはしなかった。一歩行動を間違えれば命にも関わる独裁制の下で、神経を使ったことが想像される。
それでなくても、サッカーに過剰に熱中する人々は多いし、スポーツにつきものの非合法賭博などの不穏な動きもあったのかもしれない。当時父は38歳、息子のポルンボイウ監督は13歳であった。子供のころ電話を受けたとき「審判をすぐやめろ。そうでなければ棺桶行きだと親父に伝えろ」と言われたことがあると、監督は回想する。
TV画面の雪は止む気配がなく、試合中の選手は走り回るので寒くないかもしれないが、観客もTVカメラを廻す人も傘をさし、見ているだけで凍えそうだ。 しかし父は、あの時零下1、2度でそれほど寒くなかったと言う。父と息子は選手の名前を次々と挙げ、この選手はほかのチームから借りてきた人だなどとコメントが重なる。ここは規則がその後変わったが当時はこうしていたとか、技術的説明も入るが、スポーツ音痴の私は見ても聞いてもチンプンカンプンである。
あとは試合が延々と続く97分の作品で、時にはある選手が相手のチームの選手を襲うようなこともあるが、すぐ対処されて試合が進行する。見ていてもまったく展開のわからない私はいつのまにか心地よい眠りに陥っていった。時々目をさますと、親子が相変わらずコメントを続けている。
印象に残った言葉は、監督が「ああ、当時の映像技術って、今からみると石器時代だね」と言ったことだ。確かに画面で展開しているのは、何となく焦点が定まっていないボーッとした画像だし、今の技術は20数年前と格段の差があるだろう。重要な選手権をかけた試合だったらしく、どちらのチームも観客も沸騰していたらしい。父は軍隊チームのほうには技術があり、秘密警察チームはパワーがあったとコメントしていた。
後でこの映画の批評をチェックしてみると、コンセプトはおもしろいが、後半は退屈(『ハリウッド・レポーター』誌)とあり、思わず私もうなずいてしまった。その評によれば、「僕の映画みたいに何も起こらない」と監督がコメントするところがあったそうだ。この言葉はなかなか含蓄深い。家族に関する小津安二郎の映画を見て、「何だ、この映画では何も起こらないじゃないか」と文句を言うアメリカ人もいるからだ。何も起こらないのではなく、娘を結婚させなければという義務感から父が嘘をついたり、いろいろなことが小津の映画では実際に展開している。ハリウッド映画的な起伏の多い物語性がない、という意味なのだ。
ルーマニア映画についての私の以前のコラム((11)今年も再びルーマニア映画)を見ていただければ、このポルンボイウ監督が登場するので、どのような映画を作っていた監督かわかっていただけると思う。ルーマニアの新しい動きを牽引する作家として華々しく国際的に迎えられたポルンボイウの作風は、登場人物の心の襞や微妙な反応に焦点を当てているので、しばしば「ミニマリスト的」と形容される。私はこの作風に完全に魅せられる時もあれば、スヤスヤ眠ってしまうこともある。今回はその両方であった。
しかし、ミニマリズムの極みと思えた映画でも最初から最後までびっくり仰天で激しく覚醒した映画もあったことを私は経験している。例えば日本では公開されていないようだが、ベルギー出身でNYに住んでいたこともあり、実験映画的な作品でデビューしたシャンタル・アケルマンの『Jeanne Dielman, 23 quai du Commerce, 1080 Bruzelles』(75)は、201分の一瞬たりとも画面から目を離せない何かがあった。デルフィーヌ・セイリグ演ずるシングルマザーのヒロインが黙々と、料理、掃除、アイロンかけなどの単調な仕事をするさまが固定カメラで詳細に追われる。午後、その日課の一つのように彼女は売春をするのだが、2日目、3日目で多くの日課が繰り返される中、究極の終焉が急展開する。1980年代前半にNYのアートハウス、フィルム・フォーラムでこの映画を見た時、あまりの迫力に3回見に行った記憶がある。
もう一つ驚愕した映画は、『Blind Spot: Hitler's Secretary (Im toten winkel -- Hitlers sekretarin』(02、アンドレ・ヘラー監督)である。1942年からヒトラーの死まで行動をともにした忠実な秘書だったトラウデル・ユンゲに密着インタビューをしたドキュメンタリーで、ユンゲの顔のクローズアップが90分の映画の大半を占める。ただ一度、彼女の顔からカメラが離れたのは、映画の途中でそれまでのインタビュー画像をモニターで彼女が見る場面である。あとは当時の写真も映像も出てこないで、ひたすら一人称の彼女の語りと顔だけである。身近に見たヒトラーは、親切なお父さんのようだったと彼女は語るが、それは幼少時に自分自身の父が蒸発していたからそのように感じたのではないかと分析もする。ヒトラーが犬を大事にしていたという発言の後、自分は強制収容所のことは当時知らなかったとも語る。歴史的人物の近くに身を置いた、誰もが体験できるわけではない特権的な場所に居た自分を回顧する彼女の作業の凄さに、ひたすら圧倒された映画であった。
同じようにある意味で欧州の独裁政治を描く映画でありながら、『セカンド・ゲーム』は何とも淡泊である。