百姓がまん記
木村迪夫 著

[ガヴァナンス 3月号]

村を捨ててなるものか

日本経済新聞社論説委員・編集委員
松本 克夫

 日本の村は生物の絶滅危惧種同然のところに追い詰められたかのように見えたが、どっこい千年の伝統を担う人々は簡単にはくたばりはしない。縄文以来の古い村である山形県上山市牧野に暮らす農民詩人、木村迪夫氏は『百姓がまん記』の中で、村人の静かな覚悟を記している。
 農家戸数94戸の牧野部落。92戸は60歳以上の高齢者農家で、20代、30代の農業後継者は一人もいない。青年団はなくなり、若妻会や消防団も人数が減り、老人クラブが最大組織になった。それでも、「歳の嵩みと体力の衰えなど念頭において百姓仕事をやっている農家は一軒も無い。夢と希望を捨てることなく渾身の力をふりしぼっている」。
 木村氏自身、「討ち死にするほかないのか」と思ってみたりしながら、「千年王国へ」という詩を「この村の 新しい千年王国をめざして いま一度樹にむかう」で結んでいる。朽ち果てる寸前まで、千年王国を夢見て、黙々と歩む日本の村の荘厳なラストシーンを見るようだ。
(『ガバナンス』 3月号 No.47/2005《ぎょうせい》 18頁)

[聖教新聞 2003/04/09]

「農」の崩壊―痛烈な問いかけ

山形で農業を営む著者は、ほぼ半世紀にわたって田を耕し、言葉を紡(つむ)いできた農民詩人。本書に収録された58本のエッセーは、農村の四季の移ろい、人々の暮らしや歴史を、生き生きと描くとともに、農家の取り巻く厳しい社会情勢を語る。
各エッセーには詩が付され、どうしても深刻になりがちな内容を救っている。例えば平成5年の冷害と日本の農業政策の貧困を扱った文章に付された「青いかぜ」と題する詩の一連。

「農道のむこうから/敬トラックが走ってきたり/せっちゃんが孫の自転車を追いかけてきても/眼を醒ますこともなく/青いかぜのなかで/ぼくは村のうたを口ずさんでいる」

農業基本法の制定、減反政策、米の貿易自由化と、その時々の農政に翻弄(ほんろう)され、自立農家を夢見た若き日の夢は叶(かな)わなかった。10ヘクタールの水田があっても採算はとれない。多くの農家に後継者はいない。戦後の村の歴史をつづる著者の筆が、そのまま村の崩壊過程の記録になる悲劇。それは日本中の農村の姿でもある。
?がまんの村暮らし??がまんの農業?を強(し)いられた村人たちは、しかし、希望を捨てたわけではない。「百姓」であることへの愛着も深い。
村落の会長のOB組織の副会長マツオさんのこんな言葉を、著者は記す。「これからは、あんまり頑張らねで、楽しみながら百姓仕事をせねば、ほしてこの部落の幸せな行く末を、しかと見守っていかねば」
食を支える農村の営みに、私たちはあまりに無関心でありはしないか。本書は痛烈な問うを投げかける。(尚)


[『本の雑誌』2003年4月号より抜粋]

新刊めったくりガイド
今井義男
木村迪夫『百姓がまん記』の血の叫びを聞け!

「ニッポンの村も百姓も滅びるもんか。オレはけっして死にあせんど!」木村迪夫『百姓がまん記』(新宿書房二〇〇〇円)の帯がすさまじい。本文が静かな物言いに終始しているだけに、血を吐くような烈しさにはたじろいだ。だが、読み進むにつれ本当はこれでもまだ不足だったことに気づく。
 技術大国、経済大国と自惚れ、右肩上がりの景気に国中浮かれ騒いでいるうちにいつしか第一次産業は経済発展の枠組みから取り残されていった。食糧自給が国家の優先事項でなくなるなどあってはならないことだが、政府は米余りを嫌って強引な減反政策を押し進める。底の浅い農政のツケが一挙に噴出した九四年の米パニックはまだ記憶に新しい。
 土を愛する人たちのがまんの上に成り立つ農業は本来の地力を一寸刻みに削がれ、専業農家では生活が立ちゆかず、やむなく兼業に。希望のない生業に後継者が育つ道理もなくやがて離農。暮らしの重心が揺らぐと村人の結束は緩み−−共同体としての村の崩壊。一粒の米にカミを見いだした、瑞穂の国の変わり果てた姿はむごい。
 「夫婦だけの高齢者農業となっても楽しい農業を目指す」この穏やかな言葉の奥底には帯の文言をしのぐ悔しさ、怒り、哀しみがこめられている。詩人でもある著者は「詩作」が人の意識を覚醒させ、村再生のよすがとなることを願う。全章に添えられた詩に躍動する生は、失われたものの残像では断じてない。


[Yomiuri Weekly]

 山形で生まれ育った農民兼詩人による詩・エッセー集。減反政策により村の過疎化が進むなかで、村を去った人々をしのび、冷害に泣かされ、豊作に喜ぶ著者の毎日が素朴な文章でつづられている。個の視点から戦後の日本農業史が理解できる一冊。(新宿書房・2000円)

[望星 2003年4月号]

山形県上山市に住む著者。自らの半生と生まれ育った牧野村の歴史をつづった本書は、多くの問題を抱える現代ニッポン農業へのレクイエムともいえる。朝日新聞山形県版に五年間にわたって連載した詩とエッセイをまとめたもの。

[出版ニュース 2003年2月下旬号]

 

 著者は、山形県上山市牧野で農業に従事しながら詩作を続けてきた農民詩人である。本書は朝日新聞山形県版に5年間にわたって連載した詩とエッセイをまとめたもので、自らの半生と村の記憶−牧野の歴史を綴ることを通じて、農村の崩壊と変容を描きだし、農業と地域が抱える問題を提示してみせる。この村には、三里塚のドキュメントを撮り続けた小川紳介らのグループが移り住み村を舞台にした記録映画をつくり始めた。本書でも小川プロとの出会いや映画製作に村人が参加するエピソードは、一際印象的だ。決して豊かでも住みやすい村でもないが、牧野の小さな歴史や自然、そこに住む人々の心への思いが、現代日本農業へのレクイエムとして伝わってくる。


[山形新聞夕刊 2003年1月2日]

【味読 郷土の本】 
長谷勘三郎

 「がまん」には「耐え忍ぶ」「我を通す」の両面がある。百姓はいつの時代を取ってみても、外部からの力に圧されつづけてきた。戦後、民主社会を標榜(ひょうぼう)するようになってからも、根底ではすこしも変わらなかった。食糧難が過ぎ去ったあと、高度成長期には、農村は労働力供給源の役割をになわされた。出稼ぎ、集団就職、養蚕壊滅、酪農、果樹栽培、基盤整備、機械化、農産物輸入自由化、減反。百姓はたえず「がまん」を強いられてきた。
 農業はなしくずし的に骨抜きにされ、村の衰弱はとどまるところを知らない。その事態を丹念につづりつつ、著者は「村の現代を記録するということは、とりもなおさず、村が崩壊していく過程を記録することでもあった」(あとがき)と述懐する。事実、本書は「村に寄せる挽歌(ばんか)」のごとき趣がある。
 月一回新聞連載のエッセーという限界のなかで、自らの実体験と見聞に即して、ときにユーモアをにじませ、ときに激情をおさえ、とつとつと語り続ける。全五十八編。各編に一編の詩を添える。真実を語ることばが、読む者の心にひびく。
 著者は、自分の住む牧野村(上山市東地区)を愛する。人も土も農作物も、百姓一揆で血塗られた歴史も、すべてを含めて、深いいとおしみをもって見つめる。本書を一貫するものは、幾百年祖先が生きてきた村への痛切な哀惜である。農人にして詩人たる著者の土着的感性が、ここで鋭敏に働いているのである。
 日本農業と農村内部を、これほど具体的に細密に描き出せる書き手が、現代日本にどれほどいるか知らないが、まさにたぐいまれな歴史的証言というべきであろう。結城哀草果(ゆうきあいそうか)の戦前の業績に匹敵すると言っても、過言ではあるまい。
 推測するに、書き洩(も)らされたことがほかにも多くありそうな気がする。それらを書きついで、危殆(きたい)に瀕(ひん)した農業と村の姿を、さらにひろく世の人に伝えてほしい。


[『図書新聞』 2003年2月8日付]

千年王国への希望
村の“いま”の姿を凝視する

(本紙編集・米田綱路)

“がまん”とは、希望と同義のことばであった

 「うたはあるか/うたを書け/過ぎた前史を弔うために/新しき村への出立のために/うたうべき村びと捜せ/村のはずれの山ノ神さまの/祠の屋根から見た雪の村には世紀の終わりも始まりも無いのだが/凍える景色だけが/津々としてうたを待っている」(本書「再生」より)
 木村辿夫さんの住む山形県の牧野村は、一つの世界が現出する空間である。そして本書『百姓がまん記』は、この村に生まれ戦後という時代を生きぬいてきた木村さんの記録、本書の言葉を借りれば村の“足のうら”を綴ったエッセイである。それはうたを書き、うたを待つ村の未来を透視する意思、そしてうたのねがいにみちた“がまん”の一書だ。千年王国−−それは日々の暮らし、農のいとなみと同じ志向を有する希望である。
 農業の近代化、機械化の始まりは、牛を引いて鋤で耕すいとなみからすれば、「革命的な変化」であったと木村さんはいう。それは、村から赤毛や黒毛の役牛を追放してしまった。追い立てられるような農業が、こうして始まりを告げたのである。そして牧野村も他村とたがわず出稼ぎ一色に染められ、さらに後継ぎのいない村へと姿を変えた。木村さんの生きてきた道のりは、まさに村の歴史であると同時に、この国の農業の変転に他ならなかった。「わたしの半生は政治と農業政策に翻弄され続けたものであった」、そう木村さんはいう。農業基本法が制定された一九六一年、藁細エの村は一挙に出稼ぎの村に変貌し、木村さんも長く建設現場や土木工事現場へ働きに出た。養蚕で生きてきた牧野村は、七一年に減反政策が施行されるなかで、果樹農家の増加、やがては中国や韓国からの廉価な繭の流入で打撃を受け、養蚕農家は減り続けた。国の農業切捨て政策に圧されて、村びとは減反田にブドウを植え、サクランボを植えた。木村さんも、百年続いた養蚕をやめることを余儀なくされた。兼業農家は農に拠らず生きる道を迫られ、村は揺れに揺れたのである。木村さんは自問する。「農外収入の途、兼業も出来ないで農業以外に生きていく途筋も無かったとしたら、筵旗を立てて立ち上がったであろうか」と。
 村はなにかに堪えているように静かだった、と木村さんは書いている。そして新しい歴史を刻む時間の流れは、一七四七年の見ル目原一揆にみられるごとく、本書のことばを借りれば「百姓の血の抗いと魂」によって培われてきた村の記憶とともにある。木村さんのみちびきで牧野村に移住してきた小川プロダクションが、他ならぬ「歴史の村」の相貌を現代によみがえらせたのであった。小川紳介監督とその一党に「ダマされ乗せられた」、とは木村さんの言である。しかしそれゆえにこそ、牧野村の人々は村の歴史に立ち返り、先祖との交感を得た。牧野村の百姓であることを気づかせたもの、それは映画という夢幻の世界、そして歴史につながる自己という存在なのだと、本書には記されている。
 「とめどもなく流れおちる汗を/両手ではらいながら/剪りおとされ地に落ちてなお/起きあがろうとする房々を両手にかかえ/この村の/新しい千年王国をめざして/いま一度樹にむかう」。
 木村さんはそううたった。千年王国への希望は、時代を先駆ける華やかさとは無縁である。それは本書に通底する、村の崩壊と人間というものの、まさに“いま”の姿への凝視にみちびかれるものだ。
 “がまん”とはしかし、本書を一読すればわかるとおり、希望と同義のことばであった。本書にうたわれた「村への道」は繰り返し、歩みゆく者を誘ってやまない。本書はそのみちびきであり、読者を千年王国へ、その接点へと駆りたてる。牧野村はここに、世界をうつす鏡として立ちあらわれるのである。
 「百年の孤独のような凍えから解放された農夫は/この先の百年の村のかたちを眼のうちに/黄金にけぶる空と地のはるかな接点を/歩き始める」(本書「村への道」より)


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