沖縄大学人文学部福祉文化学科教授
加藤彰彦(野本三吉)
ぼくが横浜国立大学の2年生だった年の夏、友人と一緒に沖縄へ来たことがある。まだ、復帰前でコザの街は緊張感がみなぎっていたし、基地反対の集会も各地で行われており、その時ぼくは、沖縄はまだ戦争の最中にあるという印象をもった。そして、読谷で、当時の村長さんや、ぼくと同年輩の青年たちと語り合うことができた。さらに各地で、沖縄の歴史や現状を熱心に語りかけてくれる人々にもあった。その時以来、ぼくの中で沖縄は、特別の意味をもつようになった。大学を卒業して、ぼくは小学校の先生となり、夏には沖縄へ来て、子どもたちにセッセと手紙を書いた。数年後、ぼくは教師をやめ、リュックを背に日本中を4年余り放浪することになる。北海道から始まった旅の最後のしめくくりは、またしても沖縄になった。
この時、はじめてぼくは、沖縄の神人(カミンチュ)と出会い、一緒に数か月、生活を共にさせてもらった。この時の体験は、新たな南島文化の発見となって、ぼくの中に蓄積される。
30歳の年に、ぼくは横浜市の福祉職場の職員となり、日雇い労働者(ドヤ街)の生活相談と、児童相談所の児童福祉司の仕事を20年間やることになった。ますます、民俗学や心理学、人類学や考古学への関心も高まり、日本各地やインド山麓への旅にも出るようになる。
そうした体験の中から、社会福祉というのは「暮らし(生活)」学なのだという実感をもつようになった。もっともっと学びたくなって、慶応大学の大学院や、都立大学、社会事業大学などに通い、心理学、人類学、福祉学などを総合した「社会臨床学」を構築したくなってきた。
そんな折り、横浜市立大学から声をかけられ、1991年、49歳の年に、思いもかけず、社会福祉の教員として大学の教壇に立つことになった。それから約10年、夢中で学生諸君と、また地域の方々と学んできて、ふと気がつくと、いつの間にか、ぼくも60歳を迎えることになった。そこで、横浜市立大学でのゼミナール10年史を、極めて私的に綴ったのが、この本である。大学とは何か、福祉とは何か、そして「いのち」とは何か、最後に「暮らし」とは何かを、体験を振り返りながら考えつつ、書きながら、結局、人生は「出会い」であるという結論に到達してしまった。
「出会い」と「別れ」、心ときめかし、また悲しみに震えながら、ぼくらは人や、風景や出来事に出会い、そして別れていく。この本を書き上げた時、ぼくは小さな決心をしていた。それは、沖縄へ行こう。沖縄と出会いたいということであった。昨年10月、ぼくは、横浜市立大学に別れを告げ、沖縄大学の教員となった。したがって、ぼくにとってこの本は忘れられないものとなった。
なお、野本三吉とは、ぼくのペンネーム。どこかで出会ったら、ぜひ話したいな。
※この原稿は、沖縄大学の『図書館報』(36号)の巻頭に、<私の新刊紹介>という欄があり、そこに書いたものです。いま、図書館委員会の委員になっているので、指名していただいたのだと思います。いよいよ、本格的な沖縄暮らしが始まります。ユックリやっていきます。
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