海女たちの四季(新版)  
田仲のよ 著  


[産経新聞 2001/9/24]

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海女自身の手で記された四季の暮らし
克明で貴重な記録

[図書新聞 2001/8/4]

金栄(ルポライター、『<海を渡った朝鮮人海女』の共著者)

(前略)
この頃白間津に一人の朝鮮人海女がいた。ヨネ子といったその朝鮮人海女は寒さに強く体格にも恵まれ、白間津一の大海女に匹敵する腕を持っていた。

(中略)
朝鮮では済州島だけに海女がいたが、戦争中済州島海女の多くが日本へ出稼ぎに来ていた。徴兵された海士に代わって潜ることが求められたのである。ヨネ子さんはそんな済州島海女の一人だったのだろうが、白間津のみならず千倉、和田浦、勝浦をはじめとする房総各地で朝鮮人海女が潜っていた。

(中略)
のよさんが本書を書きつづけた1980年代のはじめごろ、房総の朝鮮人海女は20人くらいいたが、彼女らの平均年齢は60歳ちかくになっていた。それから20年。ほとんどの人が引退、あるいは他界した。

(中略)
白間津の海女はほとんどが半農半漁であった。海女の仕事は言うまでもなく重労働であるが、その合間に田植えをし、房総の海岸線を彩る花を育てた。のよさんの暮らしは漁師の妻として、4人の母としての勤めをはたしつつ、海女と米と花作りという労働にひたすら向き合ってきた日々であった。この本にはそうしたひたむきな女の生が、とつとつと涼しげに語られている。

*全文は『図書新聞』2001年8月4日、第2544号、3面をご覧ください。


[出版労連 2001/6/25]

「梃子でも動かない。無くなるのに100年かかるといって笑うんです。在庫が1000部で1年に10部売れるという本。軒並みあるんです。でもね、ネット社会に入り、品切れの本ほど注文があるという皮肉な結果が現れています。読者にとっては初めて目にする情報すべてが新刊なのですね」。JR四谷駅前新道(しんみち)通り。酔客で夜毎にぎわう横町の事務所にお邪魔し、新宿書房代表の村山恒夫さんが語り始めた話を聞いた。

「……息のつけない海の中で、上目遣いに波の底が見える。あそこまで行けば息が吸える。一生懸命両手で水をあおるけれど、気ばかりあせって息の吸える鼻がなかなか水の上に出ない」。海女の仕事を、「目が出て鼻のでない商売だよぉ」と紹介する『海女たちの四季』の一節である。

この本は村山さんが同社を引き継いで間もない83年に出した。人がまだまとめたことのない分野とか、なかなか文字を書かなかった人が初めて書くといった独創的な本づくりをしていきたい。海女の村の伝統的な生活文化を文字で表す田仲さんの自叙伝は、折からの女性史ブームの流れに乗り、三刷りまで出して、ここ数年品切れとなっていた。村山さんの本づくりの原点といえる本。

本が売れなくなって久しい。何かきっかけがなければ重版も躊躇するような状況が続いていると語りながら、村山さんはここ三年ほど勤めたもう一つの仕事を説明した。

ここ三年をマルチメディアの百科事典「エンカルタ エンサイクロペディア」編集長として過ごした。CD-ROMの制作現場にいて、そこから本づくりを見つめ直す。この世界ではリストを並べ、引用するという本の世界の常套手段に留まらず、本物のテキストを出すことも可能、さまざまな方向から知識に迫る。と同時に本の世界が頑張らないとCD-ROMの世界も拓かれないことを実感する。

出版に戻ってきた村山さんはまず、「新宿書房図書目録」を初めてまとめ、『海女たちの四季』(新版)を出した。一区切りはついた。今までとは違う形の本づくりもしたいと思っている。

(東京堂/小島清孝)


[朝日新聞 2001/4/22]

房総の海女田仲のよさん(1922〜96)が書いた、海で働く女性の詳細な生活記録。83年刊行し評判を呼んだ本の復刊で、加藤雅毅氏編。

のよさんは海に潜ってアワビを採る伝統的な海女。先輩から、小さい貝は海に戻せ、貝のえさになる海藻が枯れるから石をひっくり返して採ってはいけない、などを習った。労働の厳しさ、喜び、自然への感謝が飾らない文章でつづられている。

本の詳細を見る→ ISBN4-88008-270-8

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