田中一生


『ブダペスト日記』──不思議に楽しい書 

[2004/10/12]


 著者の表の顔は、東京外語大などで言語学を講じ多くの学究を育てあげた高名な教育者。しかし裏の顔は、古書の収集や映画・演劇の鑑賞に時間と金を惜しまなかった超一流の趣味人。

 昨年、91歳の生涯を終えたとき「幻の徳永日記」に対する人びとの関心がにわかに高まった。故人が日記マニアであることは以前から知られていて、その公開をつよく望む出版社がいくつか名乗りをあげている、と噂されていたからである。『ブダペスト日記』は、そういった要望に、抄録ながら、いちはやく応える待望の書となった。

 ブダペスト三部作(既刊『ブダペストの古本屋』『ブダペスト回想』)の掉尾を飾る本書は、・/ヨーロッパの旅日記から(4篇)、・/映画・演劇・音楽(8篇)、・/古書・読書を語る(4篇)、 ・/日記に魅せられて(2篇)、・/[抄録]ハンガリー留学日記(1939~42)の全20篇におよぶ随筆・対談・日記抄から成り立っている。

 さらに、故人をしのぶ山口昌男、坪内祐三の文章と、徳永祥子夫人が故人との「思い出」を詠んだ16首の短歌、著者の略年譜と主な著作、初出一覧、編集者の編集後記とつづく。「留学日記」は全体の3分の1を占めており、本書の紹介も「日記」から始めることにしよう。


 《ぼくは、少年時代に小説『湖水の鐘』をよんでハンガリーという国のことを知り、あこがれるようになった。帝大の言語科に入り、ハンガリー語を独修、大学院へすすんだとき、ついにこの国への留学がかなう。神戸から出港した箱根丸に、父も門司まで同船して見送ってくれた。別れに際してぼくはYへの思いを父に告白し、婚約の祝福をえる。

 37日間の船旅を終えて1940年(昭和15)1月28日、ナポリに到着、ヨーロッパへの第1歩を踏んだ。ローマ、フィレンツェなどの美術館であこがれの巨匠に接し、また同船していた守屋先生のよき案内もあって「西洋美術というものへの最初の目が開いたと思う」(209頁)。ユーゴスラヴィアをへてブダペストに着いたのは2月7日深夜、町は雪のなかに眠っていた。すばらしい景観の町ブダペストはぼくをすっかり魅了した。やがてアパートに移り、さっそく日本から手紙がきていないかと公使館をたずねると、思いもかけぬ公電の写しを見せられた。

「交換学生徳永の父が肺炎で8日死去、帰るに及ばぬ」(221頁)。なんということだ! あんなにぼくの留学を喜んでくれた父が、ぼくがハンガリーに着いた翌日に亡くなってしまうとは……。

 こうして波乱ぶくみの留学生活がはじまった。だが波乱は個人生活だけにとどまらない。すでにオーストリアを併合していたヒトラーのナチス・ドイツが、この年11月にハンガリーを三国同盟へ引きずり込むと、社会の不安と緊張は一気に高まった。そしてついには日米も戦闘状態にはいる(276頁)。ぼくは東京の母やYの身を案じながらも、暇をぬってはミュンヘン郊外に森鴎外の「うたたかの記」ゆかりの地を訪ね、北海にのぞむ町フーズムまで足をのばし、愛読するシュトルムの小説の舞台となったこの町を散策した。

 やがて留学期間も終わりに近づいてきたが、第2次世界大戦のさなか、いかにして帰国するかが大問題となっていた。さまざまな検討のすえ、ついにソ連領カフカス・中央アジア・シベリア・満州経由で数人の人々と帰国することに決する。すでに2年以上が経過していた。こうしてぼくは、ソ連の通過ビザを発行してくれることになったブルガリアのソフィアへ向かうため、いまは第二の故郷となったハンガリーを後にしたのだった。》


 これは期せずして一編の青春小説、あるいは懐しい教養小説となってはいないだろうか(著者の友人に田宮虎彦がいる)(165頁)。なぜなら「日記」の中には後年の著者を予感させるすべての要素が読み取れるからである。

 ナポリに着くとすぐ本屋をさがし、映画館に足をはこぶ。オペラに感激し、感想を友人たちに知らせ、深夜おそくまで日記につづるのである。本書の残りの3分の2は、「日記」に芽生えたそれらの教養の双葉が、著者によって慈しみ育まれた成果にほかならない。例えば灰色の町フーズムを50年後、こんどは夫人を伴って訪れる。前に見られなかった1枚の絵と対面するためだ。《シュトルムの「溺死」のモチーフとなりし絵をドレースドルフの教会に訪ひぬ》(312頁)と詠んだのは、言うまでもなく、日記に登場する婚約者Yである。

『うたかたの記』を書いた鴎外と著者の、奇しき縁にもふれておこう。『雁』の終わり近く、岡田に自著の洋行案内を贈った師の柴田承桂が、じつは著者の祖父だった。それゆえ、岡田と親しい「僕」こと鴎外も、柴田教授に教わったはずである(157頁)。

 もちろん、なんといっても著者の真骨頂は書痴の面で発揮される。同好の士と縦横に語り合う・章の「古本漁りはパフォーマンス」「蒐書対談」など、にんまりせずにはいられない。しかし『リリオム』や『ほんとうの空色』の名訳者でもある著者は、現代詩を好み、70歳をすぎてから『失われた時を求めて』を読む若さの持ち主だった
(134頁)。

 本書カバー表の美しいステンドグラスにも似て、読み手の興味や教養の度合によって千変万化する不思議に楽しい一書が誕生したことを、われわれは共に喜びたい。

田中 一生(たなか・いっせい)
1935年(昭和10)、北海道に生まれる。早稲田大学露文科卒業。ユーゴスラヴィアのベオグラード大学に留学。ボスニアの歴史と民族を描いたノーベル文学賞作家アンドリッチの小説『サラエボの女』、『サラエボの鐘』(共訳)、モンテネグロの民族の自由と独立への戦いを描いたニェゴシュの長編叙事詩『山の花環』(共訳)など、翻訳多数。

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