コラム/高橋豊子



言葉の旅スケッチ(8)

日本語

[2002/08/05]

 新聞のチラシ広告の中に、小学生向けの英語教室の宣伝が入っていた。これからは英会話はできて当たり前。インターネット時代に則して英語で読み書きもできなければならないのだという。子供たちは大変だ。
 東京方面で長年、暮らしたあと、久々に広島へもどってきた。めったに会えなくなった友人たちが、お喋(しゃべ)りがてらにEメールを送ってくる。
 今のところ、主たる共通語は日本語だ。なかでも最も情感のこもったメールをくれるのは、アメリカ人の友人である。季節折々の自然の表情や身辺の動きが美しい日本語で書かれてくる。ときには俳句が添えられていることもある。こういうメールは簡単には削除できない。何年か前のメールがいまだに残っている。
 英語で書いてくるのは、日本語ができない外国人。海外にいてソフトの関係で日本語が使えない日本人。このほか、海外勤務が長かったので英語のほうが書きやすいからと言って、ビジネス・レターのようなメールをよこす人もいる。
 今のところ日本語と英語はこんなふうに棲(す)み分けているのだが、将来、日本語が英語の影響でどう変わっていくのか興味深い。
 「私は犬が好き」という日本語はおかしいのではないかと主張している人も、私の周囲にはすでにいる。「犬」は目的語なのだから、「私は犬を好き」でなければならないというのである。
 テニヲハは面倒だからやめてしまおうということにもなりかねない。ついでに語順も英語式にしたほうが、英語との整合性がとれていいと言い出す人もいるかもしれない。「私/好き/犬」というような“日本語”ができてくるのだろうか?
 そういえば、幼児を英語教室に通わせ、ある日、子供が犬を見て「ドッグ」と言ったと喜んでいた友人もいた。「私はドッグを好き」ぐらいは目の前だ。


本コラムは『中国新聞』2000年8月24日から9月4日まで連載されたものの再掲載である。

*著者(たかはし・とよこ)は、アリス・テイラーのシリーズの翻訳者。フリーの翻訳・編集者。


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