コラム/高橋豊子



言葉の旅スケッチ(6)

チェコ

[2002/07/21]

 ベルリンヘ行ったすぐあとでプラハへ行った。ドイツで英語を教えているイギリス人の友人とニュルンベルクを夜行で発(た)つと、朝早くプラハに着いた。

 この友人はかつてプラハに留学していた。七〇年代の初め。“プラハの春”直後のことである。

 彼女のセンチメンタル・ジャーニーにつき合って、城の近くに差しかかったとき、ほの暗い建物の一角からにぎやかなざわめきが聞こえてきた。

 中はジョッキを傾ける人々でぎっしり込んでいたが、入り口近くの客が詰め合わせて、二人分の席をつくってくれた。彼女ははじめこのグループとチェコ語で話していたのだが、突然、その一人とフランス語で話し始めた。彼は法律学者で、パリに留学していたのだという。「どうしてそのまま亡命しなかったのか」と聞いた彼女に、彼は「逃げるのも一つの方法、へつらってでもここで生きるのも方法」と答えたという。彼女はこの返事が気に入っていた。

 夜が更けてから、私たちは夜霧で濡(ぬ)れた石畳を歩いてホテルヘ帰った。

 部屋へ上がろうとすると、階段脇(わき)の外貨両替所から声がした。“Do you want to change money? ”(両替しません?)。なんと公式レートの二倍で替えてくれるという。私たちは耳を疑った。当時、外国人が泊まれるホテルは決まっていた。老朽化しているとはいえ、国営かそれに近いものにちがいない。その両替窓口で闇(やみ)交換とは!

 翌日、街へ出るとそれもうなずけた。“Do you want to change money? ”。外国人と見ると、まるで挨拶(あいさつ)のように声がかかる。レストランのウエーターは料理片手に、この文句を歌うように繰り返していた。

 一年後、チェコに民主革命が起きた。その後、友人はプラハに新しくできた英語学校で教えることになった。就職に有利とあって英語は大人気。しかし、あの台詞(せりふ)はもう街では聞かれなくなっていた。

本コラムは『中国新聞』2000年8月24日から9月4日まで連載されたものの再掲載である。

*著者(たかはし・とよこ)は、アリス・テイラーのシリーズの翻訳者。フリーの翻訳・編集者。


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