コラム/高橋豊子



言葉の旅スケッチ(5)

ドイツ

[2002/07/18]

 ベルリンの壁が崩壊するちょうど一年前にベルリンにいた。街の真ん中にある国境の検問所を通って、二度、東ベルリンヘ入った。
 最初は一人だった。ちょうどロシア十月革命の記念日。街には赤旗がはためき、ソ連高官をのせた黒塗りの高級車が走り去った。
 三日後、今度はドイツ人の知人と出かけた。彼女は西ベルリン市の委嘱でナチス時代のベルリンでの抵抗運動を調査していた。東側の協力者との打ち合わせに行くことになっていた。
 ベルリンの中央駅、フリードリヒシュトラッセ駅は、構内を国境が走っていた。改札口のような検問所は、親戚(しんせき)や知人を訪ねる西独市民でごった返していた。
 私は外国人用の列にならんだ。係官はパスポートに三日前の入国記録を見つけて、私を脇(わき)へ連れ出した。「ドイツ語が分かりますか?」とドイツ語で聞かれた。英語でNOと答えると、面倒くさかったのか、それ以上、追及しようとはしなかった。
 調査の協力者とは喫茶店で会った。「英語ができなくてごめんなさいね」と、彼女は単語を拾い集めるようにして英語で言った。仕事の話はドイツ語で進み、同行したアシスタントの学生が、話の要点を英語で説明してくれた。
 その夜、彼女は私たち三人を芝居に案内した。団地の一角に、集会所を改造したような、小さな劇場があった。上演されていたのはブレヒトの「セチュアンの善人」。しかし、そう言われなければ気づかないほどに作り替えられていた。
 セックスとドラッグの西側頽廃(たいはい)文化か、それとも、がんじがらめの鉄の規律か。舞台の上の若者たちは、二つのベルリンの狭間(はざま)で自分たちの選びとる社会を問いかけていた。そして、彼らはそのどちらにも与(くみ)しないことを宣言していた。
 それは私には、英語でもロシア語でもないドイツ語世界の自己主張に思えた。



本コラムは『中国新聞』2000年8月24日から9月4日まで連載されたものの再掲載である。

*著者(たかはし・とよこ)は、アリス・テイラーのシリーズの翻訳者。フリーの翻訳・編集者。


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