コラム/高橋豊子



言葉の旅スケッチ(4)

韓国

[2002/07/08]

 自らコリアンと名乗る人とはじめて話をしたのは、イギリスでのことだった。大学のあるクラスで出会った。

 その直後に日本人学生主催のパーティーが予定されていた。「よかったら来ませんか?」と誘うと、「僕が行くと、ほかの日本人が嫌がるのではないか」と言って、ためらった。「気が向いたら来て下さい」。そう言って別れたが、当日、彼はワインを抱えて一番乗りでやって来た。

 博士号を取るまで家に帰るなと言って送り出されていた彼は、父親への反発とも重なって、日本に複雑な感情を抱いていた。親父(おやじ)が日本かぶれで、姉たちにみんな日本式の「子」のつく名前をつけ、自分には子供のときから柔道を習わせたと、不満を言った。

 隣国の人とこんな話をするにも、英語の助けを借りなければならないのは、寂しく思えた。隣の国の言葉もすこしは知っておくべきだったと反省した。

 じつはそれまでに一度、韓国へ旅行していた。父のお供で「韓国歴史の旅」に行ったのだが、まだ旅行者が自由に街を歩ける時代ではなかった。日本語の堪能な現地通訳に案内されて、決められた場所だけを見学する自由行動ゼロのツアーだった。バスの窓から見る街はハングルが溢(あふ)れて、謎(なぞ)めいて見えた。

 韓国語のクラスへは二年ばかり通った。教科書は上級まで進んだが、実力はさっぱり。それでも、ソウルへ行ってハングルの看板とにらめっこするうちに、かつては謎めいて見えた街が意味をもって立ち現れてくるのは、楽しい。

 しかし、そんな程度の語学力の柏手をしてくれるのは、まず、日本と関係の深い人たちばかり。そして、そういうコリアンたちは日本語がよくできる。いきおい、話は日本語で、ということになる。

 たしかに、英語のお世話にはならずにすんでいるのだが、これもまた寂しい。


本コラムは『中国新聞』2000年8月24日から9月4日まで連載されたものの再掲載である。

*著者(たかはし・とよこ)は、アリス・テイラーのシリーズの翻訳者。フリーの翻訳・編集者。


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