コラム/高橋豊子



ああ

言葉の旅スケッチ(3)

タイ

[2002/06/30]

  タイヘはじめて行ったのは十五年ばかり前。まだ日本人旅行者の少ない頃(ころ)だった。英語でなんとかなるだろうと、タイ語は一言も覚えずに出かけていった。
 英語の通じるホテルに泊まった。ホテルの食事はいわゆる洋風。どこにでもあるメニューだった。
 街に出ると、屋台がいくつもならんでいた。珍しい食べ物に食欲をそそられたが、先にタイを旅した知人から、外では絶対に食べ物を口にしてはならないと戒められていた。ホテルのレストランの水でも下痢を起こしたというのである。
 ある日、バンコクの北のアユタヤヘ仏教遺跡を見に行った。九月半ばのまだとても暑い日のことこだった。飲まず食わずで一日中歩いて、草いきれのする畑道を通りかかったとき、道端から突然、手が差し出された。掌(てのひら)には半分に割った果物がのっていた。農作業の疲れと渇きを癒(いや)していたらしいその女性は、こちらを見るでもなく、微笑(ほほえ)むでもなく、ただ無言で手を差し出して座っていた。
 私は思わず胸の前で手を合わせた。それがこの国での挨拶(あいさつ)の仕方と知ってしたわけではない。ただ自然にそうしていた。
 その実はいくつかの白い房に分かれていて、もし甘露というものがこの世にあるとしたらこんな味がするのではないかという味がした。
 しばらくして、イギリスにいる間にタイ人の友達ができた。イギリスの長くて暗い冬を、ホットなタイ料理で温めてくれた恩人である。
 その縁で、たまにバンコクヘ遊びに行く。いまでは英語はもちろん、日本語も街でかなり通用する。忙しいビジネスの合間を縫って面倒を見てくれる友人のおかげで、ふつうの旅行者ではできない体験もずいぶんさせてもらった。
 しかし、「タイ」というと、いまだにアユタヤの田舎道で無言で差し出された手を思うのは、なぜだろうか?

本コラムは『中国新聞』2000年8月24日から9月4日まで連載されたものの再掲載である。

*著者(たかはし・とよこ)は、アリス・テイラーのシリーズの翻訳者。フリーの翻訳・編集者。


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