コラム/高橋豊子



「邦人給仕銃殺問題-愛蘭に起れる事件」5

[2003/04/26]

小西殺害を報じた1913年9月10日の東京朝日新聞は、アイルランドについてもう一つのニュースを伝えている。「ウルスターの自治反抗」--これが、その見出しである。

当時、イギリス議会では第3次アイルランド自治法案を審議中だった。アイルランドでの自治獲得運動の高まりに押されて政府が提出した自治法案は、1886年、1893年の二度、議会で否決されていたが、三度目の今回は法案成立が目前になっていた。これに危機感を抱いたウルスター(アイルランドの北東地域。現在ではふつう”アルスタ-”と言う)のプロテスタント系住民が武装を開始したという報道である。今にいたる北アイルランド問題の発端だった。記事は、「目下英国政府の最も難関とする内政問題は愛蘭自治問題なるべし」という一文で始まっている。

小西がこのような外部の状況にどこまで通じていたかは知るすべもない。ギルロイ氏の冊子は、彼の死後、地元紙が報じた小西の言葉をのせている。小西は「イギリス人はアイルランド人がよくない、アイルランド人はイギリス人がよくないと言うが、俺にはどっちも似たようなものだ」と話したことがあるという。

遙か東洋から来た小西にとって、アイルランド人かイギリス人かという区別が無意味だったとしても不思議はない。ましてや、その背後にあるイギリスによるアイルランド支配や、プロテスタントによるカトリック差別を、彼がどれだけ理解していたか? 小西には、主人と使用人、地主と地元民という具体的な関係しか意味をもたなかったのではないか? 主家へのいちずな忠誠と、他の使用人や地元民への高圧的な態度が、それを窺わせる。

小西の遺骸は、アイルランド聖公会(プロテスタント系)の教会墓地にある主人の墓の中に葬られた。墓碑銘には「モディカイ・ジョーンズの忠実な日本人の僕」と刻まれた。


*著者(たかはし・とよこ)は、アリス・テイラーのシリーズの翻訳者。フリーの翻訳・編集者。


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