コラム/高橋豊子



「邦人給仕銃殺問題-愛蘭に起れる事件」4

[2003/04/25]

クリフトン荘には不慮の死につきまとわれる不吉な館という評判があった。事件に先立つ7月6日、ジョーンズ氏が47歳で亡くなる。夫人は心を癒すためイングランドへ出かけていった。26日の土曜日に帰宅の予定で、その間、屋敷の管理は小西に任せられた。

26日昼頃、夫人帰宅。翌27日早朝、数人が銃声を聞く。小西失踪。

8月1日の遺体発見後、警察は他殺とみて、凶器の捜索を大々的に展開した。邸内の湖や境界を流れる川をさらって調べる一方、被害者の頭部から摘出した弾丸の破片の鑑定を専門家に依頼。科学的な捜査を試みたものの、めぼしい物証は得られなかった。

8月5日、ダブリンで容疑者が逮捕された。小西失踪の日までジョーンズ家の園丁をしていたピーター・ファレルと彼の3人の息子である。父ピーターは60歳前後。敬虔なカトリック教徒で、この年4月から一家で屋敷に住み込んでいた。給料は月6ポンド。家族用の家もあてがわれていた。当時の労働者の一般的賃金が約4ポンドというから、恵まれた条件だといえる。息子たちも邸内の仕事を手伝い、妻と幼い息子も同居していた。

ファレルは日頃から小西と折り合いが悪かった。ジョーンズ夫人の不在中にも、亡くなった主人の猫のことで言い争い、小西が拳銃を持ち出して家に押しかける騒ぎが起きていた。小西が夫人に言いつければ職を失う、ファレルはそう恐れていたという。

26日に夫人が帰宅すると、小西はすぐにこの件を報告した。28日の月曜の朝、夫人はファレルに解雇を言渡す。一家は荷物をまとめ、午後の列車でダブリンへ向かった。

ファレル一家の逮捕から2日後の8月7日、予備審問が始まった。5週間にわたる審問では、警察側が証人に教え込んで容疑者に不利な証言をさせた疑いが濃厚だった。法廷は証拠不十分として4人を釈放した。


*著者(たかはし・とよこ)は、アリス・テイラーのシリーズの翻訳者。フリーの翻訳・編集者。


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