コラム/高橋豊子



「邦人給仕銃殺問題-愛蘭に起れる事件」3

[2003/04/15]

「邦人給仕銃殺問題-愛蘭に起れる事件」 3

小西清之助の主人、モディカイ・ジョーンズはウェールズの鉱山主で、自らの地位にふさわしい住まいをと、ダブリンの北西、ミース県内に屋敷を求めたという。1909年のことである。従って、小西がここに移り住んだのも、それ以後ということになる。

東京朝日の記事中”クリフトン集会所”とされているのは主人の館Clifton Lodge (クリフトン荘)のことであり、70ヘクタールもの広大な敷地に建っていた。ギルロイ氏の冊子に掲載された写真で見ると、二階建ての堅牢な趣きの建物である。クロムウェルのアイルランド征討に軍資金を提供した功績で一帯に領地を得たイギリス人一族が、アイルランド滞在中の住まいとして1730年に建てたという。湖や庭園、クリケット場のある邸内では事件当時30人ほどの使用人が働き、それを差配していたのが、小西だった。

ジョーンズ氏と小西の出会いの経緯についてもなにも分かっていない。ギルロイ氏は、信憑性には欠けるが面白いエピソードとして、16歳の小西が主人の危機を救ったという話を紹介している。アフリカでライオンに食べられそうになったのを救ったのだとも(ジョーンズ氏はケニヤにも領地を持っていた)、日本で富士山登山中に事故に遭ったのを救ったのだともいう。ジョーンズ氏は、はたして日本へ来たことがあるのか? 少くとも1903年前後の横浜港入港旅客名簿にその名はなかった。

主人に忠実で、しかも働き者の小西は、ジョーンズ夫妻に可愛がられた。体格は小柄でやせていたが柔道の心得があり、地元では勇猛ぶりを恐れられていた。進取果敢な精神の持ち主でもあったようだ。特別手当を与えられたときはすぐにダブリンへ行ってオートバイを買い、運転の仕方も知らないまま何度も転倒しながら帰ってきたという。給料は年間100ポンド。破格の待遇だった。終身の雇用も約束されていた。


*著者(たかはし・とよこ)は、アリス・テイラーのシリーズの翻訳者。フリーの翻訳・編集者。


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