「邦人給仕銃殺問題-愛蘭に起れる事件」1 |
[2003/04/01] |
大正2年(1913年)9月10日の東京朝日新聞は、この見出しのもとに次のように報じた。
「英国よりの近信に依れば去月二十一日愛蘭(アイルランド)アスボーイ裁判所に於いて・・・開かれたる同市クリフトン集会所の邦人給仕小西清之助銃殺事件の公判は在留日本人を始め各国人間の一問題となり居れりとふ、・・・」。
私がこの事件を知ったきっかけは、「アイルランド田舎物語」シリーズ(高橋豊子訳、新宿書房刊)の著者、アリス・テイラーさんの紹介で、コーク県在住のジョン・ギルロイ氏から送られてきた同氏著の冊子"A
Cry in the Morning"(朝の叫び)だった。それによると、事件のあらましはこうなる。
7月27日の日曜日以来、行方不明となっていたジョーンズ家の日本人使用人が、8月1日の朝、隣地との境界にある溝の中から死体で発見された。その夏は30年来の暑さで、遺体はすでに半腐乱状態。検死により銃弾による脳の損傷が死因とされた。享年26歳。葬儀に際してジョーンズ夫人が贈った言葉によれば、夫妻の「忠実な僕そして友」であった。その後、容疑者が逮捕され裁判が行われたが、事件は結局、迷宮入りする。
殺害されたこの日本人について、今のところ素性はほとんど分かっていない。1887年に日本に生まれ、1903年からジョーンズ家で働いていたという。ちょうど100年前のことである。ギルロイ氏の冊子では氏名はSanotic
Koniste と表記されている。現地では単に"The Jap" と呼ばれていたらしい。
冒頭の東京朝日の記事を捜し当て、日本名が小西清之助であることが分かったが、それ以上の手がかりはつかめないでいる。1903年前後の旅券発給の記録にも、彼の名は見つからなかった。遠くアイルランドでその存在を語り継がれてきた小西。そんな若者について、日本のどこかでなにか言い伝えられていないだろうか?
*著者(たかはし・とよこ)は、アリス・テイラーのシリーズの翻訳者。フリーの翻訳・編集者。
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