(3) [2003/08/25]

鷹木敦

『座敷牢』

 「被監置者ハ榮養不良、裸體、不潔症甚シク、惡臭ヲ放ツ。言語錯亂シテ談話通ゼズ。撮影セントスレバ猿ノ如く柵ニ飛ビ附キテ衒奇證状ヲ呈ス」

 大正時代に記録された、ある在宅精神病患者の姿である(1)。「猿ノ如ク」などとあるが、そういう時代なのだ。記録を残した東京帝国大学の呉秀三は、人道的精神科医療を先唱した人物である。それでは、「柵ニ飛ビ附キテ」とは一体何か。在宅であるにも関わらず、患者の前に飛びつくべき「柵」があるとは、何を意味するのか。

 「座敷牢」だ。自宅の座敷や土間、或いは敷地の隅に、精神病の家族を幽閉する為の設備を設けるのである。様々な形態の物があったが、概ね「牢屋」や大型の「ケージ」のような物を想像して頂けばいい。食事も排便もこの中でなされる。かつて日本には、夥しい数の「座敷牢」が存在した。明治33年制定の「精神病者監護法」の下、「社会防衛上の理由」と精神科病床不足とから、患者の監護義務は家族に押し付けられ、各地で悲惨な「座敷牢」(監置室)が次々に施設されていったのである。

 仮に精神病院につなげられても入院費用が捻出できない家庭も多かったし、そもそも百年前の精神科医療など何の意味も持たなかった。明治時代の精神科に、抗精神病薬など存在しない。せいぜい初期段階の催眠鎮静剤しかなかったのである。下手すると「座敷牢」の方がまだましだったかも知れない。呉秀三が禁止するまで、巣鴨病院(現在の都立松沢病院)でも手錠・足枷・鎖の類が頻繁に使用されていた。当時の読売新聞が、1903年5月から6月にかけて『人類最大暗黒界瘋癲病院』などという、実にオドロオドロしいタイトルの精神病院連載ルポを組んでいる。内容も実にオドロオドロしい。搾取、虐待、人権侵害のオンパレードだ。どこの誰が『人類最大暗黒界』などに家族を入れたく思うものか。
 
 こうして、無数の精神病患者/精神障害者が何ら有効な医療を施されぬまま、陰惨な「座敷牢」に何十年も幽閉され、苦しみ、死んでいった。現在とは比較にならぬムラ社会とその住環境の中、差別と好奇心の混在する他者の視線から患者を隠蔽しようとする試みも徒労に終わったことだろう。家族からすら厄介者扱いされ、虐待され死んでいった者も多かったはずだ。「座敷牢」が、日本社会から法的に消え去るには、第二次大戦後、昭和25年の『精神衛生法』成立まで待たねばならなかった(2)

『座敷牢』/ 内側から柵にしがみつく二つの手が見える」
(『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』大正7年)

 ところが中国には、この「座敷牢」が21世紀の今日なお存在する。無論、北京や上海には立派な近代的精神科病棟もあるのだが、誰もがこうした先進的医療を受けられる訳ではない。中国では未だ多くの地域で「何の公的支援もないまま、母親が患者の世話をしているのが最も一般的」だ(3)。人民日報社系の北京の有力紙、『京華時報』の記事から見てみよう。

『養父母の手で鎖につながれる精神病患者』

 22歳の尚志軍さんが、養父母の手で鎖につながれ、鉄製の檻に閉じ込められてから25日になる。養父母を罵り、暴力もあり危険な事、統合失調症(精神分裂病)患者である事、そして精神科医療を受ける費用が家にない事がその理由だ。鉄製ケージは尚さん用に注文して作らせた。大人1人用で、幅は1メートル20センチ。ケージは窓一つない部屋の中央に置かれ、尚さんの足首は、囚人のように鉄の鎖できつくケージにつながれている。髭は伸び、体は垢にまみれ、鉄輪が深く食い込んだ足首は青い。後ろには小便の跡があり、異臭が鼻をつく。中国には現在1600万人の精神病患者がいるが、その相当数が程度の差こそあれ、尚さん同様の監禁下にあるのだ。

(京華時報2003年8月11日)

(以上要約。中国語原文記事と写真はこちらから)
http://www.bjt.net.cn/news.asp?newsid=32421(京華時報「養父母鉄籠鎖児25天」)

 記事には、裸で檻の中にうずくまる尚さんの写真もある。尚さんは2年前に統合失調症と診断された。一度レンガで鎖を断ち切り逃げたが、再び監禁。ケージ監禁については、「村民委員会」の討論を経て、地方政府の同意及び警察の許可を得ていたという。尚さんはこの後、兄のはからいで北京の精神病院を受診できたが、高額の医療費の壁で、今再びケージ戻りの危機に瀕している。
 
 小さな窓が1つあるだけの石牢に幽閉されている者、山麓の樹木に縄で縛られている者、何年間も片手を鉄の鎖に繋がれたままの者(4)。中国には今なお、尚さんよりも劣悪な環境で監禁され続けている精神病患者/精神障害者が数多く存在する。更には監禁されるだけでなく、人身売買と性的搾取の対象にされ、「嫁に売られていく」者すらいる。

『精神病の女性、20日間に2回売られて3人の「嫁」に』

 精神病を患う女性がわずか20日間の間に2度売られ、3度連続見知らぬ男の「嫁」にされた。

 朱寒花と名乗る女性が福建省在住の林平容疑者(52)の前に現れたのは6月12日。残りご飯を与え話をしてみた林容疑者は、朱さんの精神状態が正常でない事に気が付いた。今まで女性に全く縁のなかった林容疑者はたちまち邪念を起こし、言葉巧みに騙して朱さんと性交渉を持った。ところが間もなく林容疑者は朱さんが性病ではないかと疑い始め、姪の林香容疑者に相談。これを聞いた隣近所の女、林珠容疑者が「朱寒花はどうせ精神病なのだから、売り飛ばして金儲けすればいい」と提案。全員、即座に賛成した。

 6月16日、林容疑者らは、前妻を亡くし農業を営む陳容疑者(40)に朱さんを紹介。言葉を飾り立ててお見合いをさせた。激しい値段交渉の末、林容疑者らは800元(約1万1500円)で朱さんを陳容疑者の嫁として売り飛ばした。ところが陳容疑者は、悪臭を放ち、発作時には、性交渉を強行しようとする陳容疑者を包丁で襲いかねない朱さんにがまんができなくなり、返品を申し出た。

 林容疑者らはその後、返品された朱さんを、話を聞いて大喜びで駆けつけた未婚の出稼ぎ労働者、呉容疑者(43)に1000元(約1万4400円)の約束で再び売り飛ばした。呉容疑者もまた、衣服やおやつを買い与えるなどして、朱さんと繰り返し性交渉をもった。7月3日、呉容疑者の自宅に人民警察が突入、前後して容疑者グループ全員を逮捕した。

 こうして朱寒花さんは人民警察の奮闘により救出され、精神病院へと送られた。20日間にわたる悪夢のような生活を経験した朱寒花さんは、ついに新生活を獲得したのである。

(遼寧日報2003年7月28日)

(以上要約。中国語原文記事はこちらから)
http://newsls.lnd.com.cn/bgw/200307/4210520030728.htm(遼寧日報「精神病女遭拐売20日連続"嫁"三夫」)

 「ついに新生活を獲得したのである」などと小鼻蠢かして記事を締め括られても、送られた先が中国の精神病院だというのでは、果たして本当に希望に満ちた「新生活」が待っているのだかどうだか、甚だ怪しいのである。

 侯孝賢の映画『冬冬的假期』(トントンの夏休み)に、スズメ捕りの男が知的障害のある女性を妊娠させるエピソードがある。激怒した父親は男を追いかけ棒で打擲しながらも、「子供ができたら落ち着くだろう。娘が哀れだから産ませてやりたい」と言う。日本でも昔の合力(ごうりき=介助人)などには、女性精神病患者を慰みものにする者もあったという。この事件も然りで、男どものする事にはつくづくゲンナリさせられる。

 「俺ほんと運が悪いですよ。100人に1人でしょ?何で俺だけ、こんな病気になっちゃうんだよ」20代前半の統合失調症(精神分裂病)の患者さんが、私によくこんな事を訴えた。仕事上、1日の殆どを統合失調症の患者さんたちと一緒に過ごしていた。「運が悪い」。きっと私も、そう思う。肺ガンのヘビースモーカーと異なり、自分には何の責任もないのだから。それでも私達が、明治・大正の日本に生まれなかったのは、まだ好運だった。現代中国に生まれなかったのは、更に好運だった。欲を言えば、接客業のイロハすら覚えられぬ医師もいる日本の病院ではなく、アメリカの最先端病院で治療を受けられれば、もっと好運なのだけれど。

 女性患者を庭木に縛る(奄美病院)、患者にエアガン乱射(越川記念病院)、患者をリンチ殺害(宇都宮病院)、院長自ら患者の預金着服(栗田病院)。1984年以降つい最近に至るまで、患者への虐待が発覚した日本の精神科病院のごく一部だ。入院偏重、過剰投薬、人権侵害。患者に何の説明もせず、カウンセリングの基礎すらなっていない「精神科医」の3分間診療。先進諸国の中で、その時代錯誤ぶりは際立っている。構造的人手不足は承知だが、薬を出すだけで3分間しか患者の話を聞けないのなら、いっその事ウルトラマンのカラータイマーでもつけてやればいい。患者が話し始めて2分過ぎる頃から、医師の胸元がピカピカ激しく点滅し始め、なにやら苦しげな御様子。3分経って赤く光るなり目を回してカルテ片手にバタンと倒れるから、わかりやすくて患者の方もあきらめがつく。

 今世紀前半、統合失調症の治療は大きな進歩を遂げる事が予測されている。中国各地で檻に鎖で繋がれ、或いは人身売買で消息不明になったままの、無数の尚さんや朱さん達の手に新しい薬が届くのは、それから一体何年後、或いは何十年後の事だろう。


(1) 呉秀三・樫田五郎『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』(「東京医事新誌」第32巻第10-13号、大正7年)
(2) あくまで「法的に」である。例えば1977年にも、知的障害のある息子を14年間「座敷牢」に監禁していた父親が大阪で逮捕されている。同地区では公然の秘密だったという。(朝日新聞1977年3月17日)
(3) University of Hong Kong、Veronica Pearson らの調査による。" Mental Health Care in China: State Policies, Professional Services and Family Responsibilities " ( London: Gaskell,1995) 等。
(4) 馬小虎・張大克『忘れられた人々 中国精神病人的生存状況』(李丹訳、第三書館、1993年)

*鷹木敦(たかぎ・あつし)1971年生まれ。作家・臨床心理士。著書『お笑い超大国中国的真実』(2002年、講談社)

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