映画『エヴァとステファンとすてきな家族』 1998年、「ショー・ミー・ラヴ」でデビューしたスウェーデンを代表する若手映画監督の一人、ルーカス・ムーディソンの第二作。前作と同様、本作品でも彼自身が監督・脚本とも担当している。この映画、スウェーデンで2000年の観客動員数トップに輝いた大ヒット作である。ちなみにスウェーデンも日本と同様、アメリカ映画が幅をきかせているので、スウェーデン映画がトップになることは珍しい。 舞台は1975年のストックホルム。黄色い外壁の、スウェーデンならごく普通にみられる民家である。家は普通でも中に住んでいる人たちはちょっと違う。近所の住人たちともしっくりいっていないようだ。なぜならそこは、ヒッピーたちのコミューンだから。コミューンの名前は、Tillsammans(英語だとTogether)という。映画の原タイトル、英語タイトルも、それぞれこの名前がつけられている。なのでこの映画の日本語タイトルにはちょっと違和感がある。 この年の11月20日早朝、スペインの独裁者フランコ将軍が死んだ。そのラジオのニュース速報とともに映画は始まる。原稿書きでもしていたのか、徹夜明けの住人の一人、ヨーランがそれを聞き、「フランコが死んだぞ!」とみんなにふれてまわる。住んでいるのは何より自由と平和を愛する人々だから、みんなもう大喜びである。その渦中にやってくるのがヨーランの妹、エリザベートと子どもたち、エヴァとステファン。エリザベートは酒乱の夫、ラルフに殴られ、家を出てきたのであった。物語は、このちょっと変わった大人たちの共同体に、いきなり放り込まれたエヴァとステファン、そして母親のエリザベートを中心に展開していく。 ここに住む彼らはヒッピーとはいうものの、決して独善的であったり不道徳な人たちではない。まして過激な考え方なり、行動をするようなことはない。でもなんというか、カタブツ的なところは相当あって、その辺の行動なり会話なりが傍でみていると面白いのだ。たとえばアストリッド・リンドグレーンの代表作である「長くつ下のピッピ」がやり玉にあがるシーンがある。「ピッピは資本家で、おまけに物質主義者じゃないか!」というのである。ピッピは我々の敵であると大まじめで批判しあうのだが、まじめな分だけ笑ってしまう。こういった会話のおかしさ、つまり脚本のうまさもこの映画のみどころ。日本人でもけっこうおかしいのだから、スウェーデン人には大受けという場面がたくさんあるに違いない。 そんな議論のたえない家だから、耐えられなかったり、他の住人とうまくかみ合わずに出ていってしまう人もいる。一方で子どもたちはといえば、最初のうちこそこの奇妙な共同体にとけこめず、父親が恋しかったりもする。しかしそのうちエヴァは隣家の一人息子、フリドリックと仲良くなり、ステファンもこの家の住人の子どものテト(もちろん、ベトナム戦争の激戦地の地名にちなんで名づけられた)と友だちになって一緒に遊ぶようになるのであった。 そして季節が移り雪が降る。そこにラルフがエリザベートを訪ねてくるが、二人の関係はどうなるのだろうか? 家族はもとに戻るのだろうか? 結末は映画をみてのお楽しみ、ということにしておきたい。 ところで監督のルーカス・ムーディソンは1969年生まれ。サイケとかヒッピーとかベトナム反戦など70年代的な経験はまったくしていないはずの年代である。映画の中に出てくるステファンとほぼ同じ世代ということになる。その彼が、なぜこういったコミューンを舞台にした映画を撮ったのかはよくわからない。ただ、ムーディソン自身は両親の離婚を経験しているという。そのことで子供心につらい経験もあったに違いない。そういったところからの思い、願いが、映画の最後にこめられていることはわかるような気がする。たいへんに印象深いラストシーンである。 この作品、ぶつかりあいながらも一緒に生活する、共同体の人々の悲喜交々をみているうち、心が温かくなってくるようないい映画である。テーマ曲はスウェーデンが生んだポップスター、アバがうたうSOSで、他にも当時のポップスが随所にちりばめられ、それもみどころ(ききどころ?)だろう。 なお本作品の後、ムーディソンは、旧ソビエトの貧しい少女を主人公にした“Lilja 4 ever”を製作、スウェーデンをはじめすでに多くの国々で公開されている。こちらの作品は本作とはうってかわって、手持ちカメラを多用した、いかにも今風の映画であるが、内容は本作同様(あるいはそれ以上に)、いろいろなことを考えさせられる秀作である。彼はいまスウェーデンで最新作の製作中とも聞くが、これらの作品も早く日本で公開してほしいものだ。 ※エヴァとステファンとすてきな家族(原題“Tillsammans”) |