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 関 沢 英 彦

本の表紙というものは、不思議です。一方には、色彩に富んだキャンバスのような表紙があります。他方には、書道の半紙のように寡黙な場合もあって、そこに書かれた文字が立ち上がってくることで、書棚の前をいく人に存在を知らせます。

今回は、いずれも無地に近い表紙の本がわたしの心をとらえました。『キリスト教という神話』(バートン・L・マック 松田直成訳・青土社)は「キリスト教」という五文字が表紙にあって、やや巾の広い帯に「という神話」という言葉が続きます。このデザイン自体が本の内容を示しているようです。

「キリストと独裁主義的な文化の創造」と題された七章に「・・キリスト教的、かつ、西洋的な一的なものの見方は、我々が生きる多元的、かつグローバルな時代においては、本当に危険なものである・・」という一文を見つけました。訳者のあとがきには、「ブッシュ政権は余りにも独りよがりの危険な道を突き進んでいる・・本書はそのような事態への先取り的な批判を提示している」と、いま読者が置かれている状況の中に、本書の意味合いを位置づけています。

書店というところは、面白いですね。最初に手に取った本が羅針盤になって、次に見ていく本を規定していくといったことが起こります。ある文脈が与えられて、そのなかで、周囲の本を位置づけていくことになるといったらいいでしょうか。

『両性具有』(パトリック・グライユ 吉田春美訳・原書房)は、多様な文脈に置くことが出来る本ですが、いまのわたしは、「あいまいさを許さない西洋」という視点から見てしまいます。

早速、序文の中にある文章を発見。「正常さと絶対的な基準を信奉する人々にとって、太古の昔から受け継がれてきたと思われる生活様式や考え方が損なわれ、崩されると感じるのは、じつに恐ろしいことであった。もうじきカオスが到来し、人類は奈落の底に落ちるに違いない。そうならないように、大急ぎで備えをかためなければならなかった」ああ、なにを読んでもイラクの方に頭が飛んでいってしまうのです。

『敗戦以後』(藤田信勝・プレスプラン)は、昭和二十年八月十日からの半年間を中心にした新聞記者の日記。帯には、「半世紀前、日本は敗戦した」とあります。「失われた十年」で「二度目の敗戦」を迎えている日本という文脈でも読めます。しかし、半世紀前、空襲下にあったこの国の体験をいまのイラクの民衆と重ね合わせることも可能です。

本は一冊で市場に出るのではない。その時点に平積みになっている他の書籍とのコンテキストのなかで、ある和音を生み出していくようです。

関沢英彦のコラムへのリンク http://www.athill.com

*著者:関沢英彦(せきざわ・ひでひこ) 東京経済大学教授・博報堂生活総合研究所所長。近刊『生活という速度

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