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 関 沢 英 彦

書店というのは、飛行機のタラップに横付けされているのかも知れません。もちろん、波止場であってもいいわけで、昼休みのしばしの休息の時にも、思いもかけない地へ旅することになります。時間を遡ることもお好み次第です。

今日は、昼食後、ヒットラーに出会いました。たまたま手にした『『キング』の時代』(佐藤卓己・岩波書店)は、ヒットラーの『わが闘争』からの引用で始まります。ヒットラー政権下、講談社についての独訳本(そんな本があったのですね)を読む男が導入部分です。

ドイツのシーンから講談社の雑誌『キング』の話がひもとかれるなんて、巧みな展開だなと思いながら、隣の本に目を移すとその帯にもヒットラーの名前。『広告論講義』(天野祐吉・岩波書店)は、著者が明治学院大学で講義したものをベースにしているとか。ヒットラーは「ナショナリズムを売る」という章に出てきます。

書店に入って、まだ10分もたっていないのに60年前のドイツをうろついて帰ってきました。いや実は、まだ帰り着いてはいなくて、大西洋を越えてアメリカに行ってしまったのです。ああ、懐かしいエリック・ホッファーに再会しました。『波止場日記』(田中淳訳・みすず書房)。31年ぶりの新装版です。

「第39埠頭。8時間」といったから日々の労働メモから、毎日の日記は始まります。「さすがに疲れた」といった文も散見される。そういえば、いまアメリカの西海岸の港湾労働者はストライキ中ですね。荷役の自動化に対する反対運動だとか。おや、まだ沖仲士が働いているということでしょうか。

ホッファーは、肉体労働の途中に熟していく思考の流れを、その夜、アフォリズムの滴として、ノートにしたたらせていました。昼の汗はさわやかなものでしたが、夜の汗は苦いアイロニーを含んでいたのでしょう。かつて、ホッファーの本に出会ったとき、残念ながら肉体を動かす労働でない私は、軽い嫉妬を感じた覚えがあります。だって、こちらは、さわやかな昼の汗とは無縁な日常なのですから。

40歳から65歳まで港湾労働者で、その前は、ホームレスだったこともあるようです。あるとき、たまたま読んだモンテーニュに影響を受けたというけれど。はたして、上野公園や新宿中央公園には、ホッファー・ジュニアはいるのでしょうか。

『エリック・ホッファー自伝』(中本義彦訳・作品社)があちこちの書評でとりあげられていましたっけ。それで、日記も新装版がでたのでしょうか。

モンテーニュもホッファーも、毎日同じ場所に生きた人です。肉体的には移動しません。しかし、『なぜ、記者は戦場に行くのか』(吉岡逸夫・現代人文社)に出てくるジャーナリストたちは、世界中の紛争地を動き回っています。

東京新聞の記者である著者は、慣れないビデオカメラを手に記者たちにインタビュー。ドキュメンタリーの映画まで作ってしまいました。「現場からのメディアリテラシー」と言う副題です。

現場ですか。モンテーニュやホッファーにとっての現場はどこだったのでしょうね。私自身は、高校生のころは、カメラを持って「現場に行きたい」と願っていました。でも、進学して3年のころには、現場って毎日を過ごしている「ここ」しかないだろうという気持ちになっていました。

さて、そろそろ昼休みも終わりです。仕事に帰ります。アメリカの波止場から戦場をいくつか回って、職場のデスクにご帰還です。

関沢英彦のコラムへのリンク http://www.athill.com

*著者(せきざわ・ひでひこ)は、博報堂生活総合研究所所長。

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