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 関 沢 英 彦

「ひとり住まいの空間を構想するというのは、こんなにも楽しくスリリングなことか、と思い知らされる出来事でした」

こんな文章で始まる本を手に取りました。『独身者の住まい』(竹山聖・廣済堂)。書名を見て、「あ、いいところに目をつけたな」と少しばかり嫉妬にかられます。中を見ていくと、「ひとりの時間」「精神的独身者の時代」「アンチファミリー」・・といずれも興味をひかれる章立てです。

ひとりという空間、時間、生き方は、こんなにも設計のしがいがあるものか。嬉々として住まいのイメージを広げている建築家の様子が伝わってきます。

書店とは、ひとりの世界です。カップルや家族づれで訪れても、「じゃ、30分くらいね」と声を交わしたあとは、互いに別れ、平積みの本の海に泳ぎ出します。時々、ブイにたどりついたように、気に入った本を開いてみる。これが読書家の恋人たちや、家が本であふれている一家の書店でのありようでしょう。

いいかえれば、本好きは、誰かといても、どこかにひとりの部分を持ちつづけるひとでもあります。

おや、『ボルヘス伝』(ジェイムズ・ウッダル/平野幸彦訳・白水社)。彼は、結婚もしていましたが、どこか、かれの小説には独身者の気配が強く立ちこめていたような。ボルヘスと口の中で転がしてみます。もう、知らない人が多いかもしれません。アングロサクソンでは初めての伝記とのこと。もしかすると、英語国民よりも日本語国民は、彼の名前に近しいのでしょうか。

『懐かしい日々の想い』(多田富雄・朝日新聞社)。懐かしい?どういうこと?と軽い気持ちで見たのですが、そうか、多田さんはそんな大変な病気だったのですか。「体が麻痺してから違う自分が生まれてきている」と書いています。「鈍重な巨人のような新しい自分」といったセンテンスにも出会います。「懐かしい」という言葉が迫ります。

 露の世は 露の世ながら さりながら

一茶の句を著者は引用するのです。ひとりの自分が、鈍重な巨人のような自分と邂逅する。

ひとりというなかにも、たくさんのひとりがいるようなのです。

昭和30年代の遊びを集めた『こども遊び大全(新版)』(遠藤ケイ・新宿書房)はすべて手書きの文字とイラストです。395ページもある厚い本。2刷になったのですね。懐かしさで手に取るひとたちがいるのでしょう。ひとりで書棚の前に立つ大人たち。彼らは、からだをもつれあって遊ぶ子供たちの絵をじっと眺めています。

ひとりは、世の中のどこかにいる、もうひとりに心を馳せます。『感情の猿=人』(「シリーズ生きる思想2」菅原和孝・弘文堂)は帯にこうあります。「恐怖・嫉妬・怒り・悲しみ・・他者の感情を、人は本当に理解できるのだろうか?」

ひとりの猿。ひとりの猿=人。著者によれば、猿と人のあいだの等号は意味があるのですが、ともかく、ひとり。

猿は知りませんが、少なくとも人が書店を訪れるのは、本というものを通して他者に出会いに行くのかも知れません。

ひとりだけれど、ひとりでない、本屋さんのなか。

関沢英彦のコラムへのリンク http://www.athill.com

*著者(せきざわ・ひでひこ)は、博報堂生活総合研究所所長。

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