偶然というには……
加瀬由美子

[2002年4月22日]

私はこの程、イスタンブールで暮した7年を綴った『犬と三日月 イスタンブールの7年』という本を出版していただきましたが、その中にトルコ語の恩師で、著述家の大島直政先生について書いた1章があります。

1995年の3月、1頭のシベリアン・ハスキーを連れてトルコに移住することになった私が、出発の少し前にご挨拶に伺うと、先生は1人のトルコ人の名前と住所・電話番号をメモ用紙に書き付けて、「向こうで何かあったらこの人を訪ねてごらんなさい。いい人です。きっと力になってくれるでしょう」と言われました。しかしそのメモを私は、離婚と荷造りの慌しさの中で紛失してしまったのです。 そして悲しいことに私が日本を離れて僅か1ヵ月後の4月15日、先生は急逝されました。

2年後の或る日、イスタンブールのオフィス街で、とあるプチホテルのレストランを借りて和食の店をやっていた私のところへ、大島先生の最後の講座の生徒だったという女性達が、ランチを食べに来てくれました。先生の思い出話に花が咲き、食後彼女達とショッピングにお付き合いすることになった私が1台のタクシーを拾うと……思いもよらぬ偶然から、私はよもやの人物にめぐり会うことになるのです。あの広いイスタンブールで、それはまさに衝撃的な出会いでした。どうか『犬と三日月』をお読みください。

さて、今回7年ぶりに日本に滞在し、出版のお知らせと日頃のご無沙汰を詫びるお便りをたくさんの知人・友人に書きましたが、あるグループの会員でどうしても連絡の取れない友人が2人いました。電話の通じた千葉県習志野市のS子さんに訊くと、2人は転居し、グループからも抜けたとのことでした。ところが偶然にもそのS子さんがつい最近トルコ旅行をして、トルコを救った英雄アタテュルクに心酔し、彼の伝記を書いた大島先生の本を探したものの絶版になっていて読めなかったと言うのです。数日後には先生のご命日がきます。その日にS子さんを訪ねてアタテュルクについて講釈すれば先生への供養にもなるし、積もる話も出来ると思い、ちょうど彼女の休みとも重なった4月15日午後、待ち合わせの場所に野田から出かけてゆきました。

しかし私は方向感覚を失った海亀のように、京成津田沼駅前と聞いていながら、JR津田沼駅から京成とは逆方向の新京成新津田沼駅(ああ、ややこしい)に行ってしまったのです。ところがまたまた驚いたことに、駅の隣の大型スーパーから吐き出されてきた人波の中に、あの、行方のわからない2人のうちのY子さんがいてすれ違って行くではありませんか。追いかけていって「Y子さんでしょ、加瀬ですよ」と呼ぶと彼女は息も止まるほど驚いて「加瀬さんならトルコにいるはずなんですけど」と信じません。何年か前、千葉市からこの津田沼に転居し、普段は来たことのないこのスーパーにたまたま来て私に呼び止められたと言うのです。お陰で駅を間違えていたのも分かり、S子さんとも無事に会うことが出来た上、Y子さんからもう1人の友人F子さんの消息も教わりました。しかしこれは偶然にしては出来すぎる話です。

案外、大島先生が茶目っ気を出して天国から糸を引いておられたりして。怖いなあ。

*筆者(かせ・ゆみこ)は『犬と三日月 イスタンブールの7年』の著者。和食コンサルタントとしてイスタンブール在住。

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