ぐうたら猫の南の島昼寝

―フィリピン・カオハガン島編―

最終章.カオハガンの想い出――南の島で考えたこと

カオハガン島の一週間は、ゆっくりと、しかしあっという間に過ぎてしまった。またあのゴミゴミした東京に帰らなくてはならないかと思うとうんざりしたし(ましてや寒い冬!!)、このままこの島でのんびりと暮したいとも思ってしまった。心地よい気候、自然の恵み、おだやかで陽気な人々の暮らし。

カオハガン島の北東岸
島民の船がずらりとならんでいる。


感想ノート
母屋に宿泊者の感想ノートがある。『青い鳥の住む島』に出てくる銀座の伊東屋で購入したという革装丁の立派なやつだ。その中には「崎山さんの生き方を尊敬する」「とてもいい島だ。」という賛美の言葉が並ぶ。この島を訪れる大半の人が、単なる観光客ではなく、崎山氏の著作を読んできた人たちであるから、当然といえば当然である。

ぶらぶら猫もカオハガン島はとてもいい島であると思うし、この島の現状をつくりあげた崎山氏の行動力には敬意を表したい。力の違う2つのグループに属する人々(あえて民族という言葉は使わない)が、これだけ対等で、互いを尊重しあい、平和に共存している姿には感銘を受ける。これには崎山氏の人柄や多文化を見てきた視野の広さ、彼に利潤追求という目的がなかったことが影響しているであろう。

このようなカオハガン島の状況や崎山氏の生き方に感化され、ともに活動されている若い人たちも大勢いると聞く。それはそれで立派なことだ。

ただ、ひとつ気になることがあった。日本での生活を否定的にとらえ、それとくらべてカオハガンはなんと汚れなき美しい世界なのであろう、とロマンス的にとらえる見方をする人が全員ではないにしろいるのではないかと思われることである。いわく「現代物質文明がかかえる問題点をあげ、物質的にははるかに豊かだが幸福ではない日本人と、物質的には貧しくとも幸福なカオハガン島民」的な考え方である。こうした考え方に素直に賛成してよいものであろうか?

カオハガン島の学校
崎山氏の母屋の近くにある。ぶらぶら猫が島に滞在した時は学校が休みで静かだったが、授業のある時は子供たちのにぎやかな声が響きわたるのであろう。カオハガン島の将来をになう子供たちは、島のどんな未来像を思い描きながら勉強しているのだろう。


皆が幸福になれる社会システムは?
もちろん現代の日本の社会が抱える問題は数多い。それでもぶらぶら猫は日本という国に生まれたことを幸せに感じる。いまだかつてこれだけ多くの人間が飢えや病気に悩まされず、70~80年という時間を、不当な人権侵害を受ける恐れもなく生活できる場所や時代があったであろうか? もちろん世界60億の人々全員が同様の生活を送れることを望むし、またそのために努力すべきではあろうが、悲しいかな我々はその構成員すべてが幸福な生活を享受することのできるパーフェクトな社会システムを知らない。ヨーロッパやアメリカそして日本をはじめとする先進国といわれる国が、さまざまな問題をかかえつつもようやく完成させたシステムなのだ。

日本のような先進国の豊かさが第三世界からの搾取によって成りたっていると言えることも知っている。しかし、今のところはこれに優るものは思いつかない。すべての人々に平等に豊かさをと願うのはたやすいが、一見豊かで安定しているかにみえる日本に住む我々の生活だって、必死に働いてかろうじて維持しているものなのだ。

このすばらしい日本という社会の中に幸福を見出せないことは、ぶらぶら猫にはとても「不幸」なことに思えるのである。

日本

フィリピン

面積

37万8000平方キロメートル

30万平方キロメートル

人口

1億2692万人

7632万人

GNI(国民総所得)

4兆5190億6700万ドル

787億7800万ドル

1人あたりGNI(国民総所得)

35,620ドル

1,040ドル

所得分配(ジニ係数)

0.249

0.462

1人あたりエネルギー消費量

4070キログラム

549キログラム

平均寿命

81歳

69歳

5歳未満児の死亡率

5%

39%

日本とフィリピン
数字は2000年(一部1999年)のもの。
欄の「ジニ係数」は、数字が小さいほど平等であることを示す。
『世界国勢図会 2002/3年度版』矢野恒太記念会編より


外の刺激を必要とする日本人
最近の若い日本人の中には、外からの刺激で目覚める人が多いようだ。 日本では自分が何をしたら良いのかわからなかったが、海外の発展途上国の人々を援助するNGO活動などを通して、はじめて自分の生き方を見つけたというような話をたびたび耳にする。

第3世界に行って自分の生きがいを見つけるのはそれはそれで良い。ただ日本の中にだって君たちが力を発揮すべき場所はあるのだよと言いたい気にはなる。

彼らの考え方を否定するつもりは毛頭無い。どこであれ、誰か他人のために力を尽くすこと、人助けをすることは良いことだ。ただ、それがあまりに性急に現代文明否定論、日本型生活否定論に行き着いてしまうのはどうかと思う。南の島には南の島の生活があり、日本には日本の生活がある。

カオハガン島の南東岸


幸福の尺度

崎山氏の著作の中で、幸福=財/欲望、という幸福の尺度をはかる定式が紹介されている。欲望が大きくなるほど小さな財では幸福感が得られなくなり、逆に欲望が小さければ小さな財でも大きな幸福感が得られることを示した式である。確かに人間の欲望は果てしなく膨らんでいくものであるし、欲望が大きくなればなるほど小さな財で満足できなくなり、幸福感が減っていくのは事実である。しかし、すべての人間があるところで「足る」ことを知ってしまったなら人類の「進歩」はなかったと思う。欲望を諸悪の根源と考える仏教徒たちのお怒りを覚悟の上で言えば、常に上をめざすこと、より多くを欲すること、より美しいものを求めること、科学技術から社会システム、芸術に至るまで、すべて進歩は「欲望の飽くなき膨張」によってもたらされてきたのだ。

人類の幸福のための理想にのっとった理論や公式を頭の中で考えるのは簡単だ。しかし、人間が理想のみでは動けない存在であることは共産主義の失敗が証明しているように事実である。人間の欲望や感情をうまく刺激し、利用したのが、産業資本主義であり、その富を再分配するというかたちでできるだけ多くの人に幸福を与えようと編みだされたのが社会民主主義なのだ。

ウニご飯を食べる若者たち
崎山氏の本にも紹介されているうわさのウニご飯。そこいら中に転がっているウニを拾って殻を破り、持ってきたご飯といっしょに食べる。ウニの身は小さくて美味とは言えないが、日本人にはとても贅沢に思える食事風景である。


我々はそれほど不幸なのであろうか?
島を歩いていると何人かの島民から「日本人疲れてるね」「日本人はお金はあるけれど幸せじゃないんだろ」と言われた。そりゃ底抜けに陽気な南の島の人間と比べたら日本人は静かでおとなしく見えるだろうが、なんでそう言われるのであろうかと不思議に思っていたら、どうも島を訪れる日本人がそのようなことをこぼすのを聞いて島民たちの中に「日本人は金持ちだけれども幸福ではない」というイメージが植えつけられてしまっているらしい。

「日本人は金は持っているが、だからと言って幸福なわけではない。この島は貧しいかもしれないが、だからと言って不幸なわけではない」と島民が自分たちの生き方に誇りを持ってくれるのはそれはそれで良いが、日本人全員が不幸にあるかのように思われては困ってしまう。

現代に生きることの幸せ
カオハガン島は自然条件に恵まれた島だから、カオハガン流の生き方を未来永劫続けていくことも可能かもしれない。しかし、地球上すべてがこのような恵まれた環境にあるわけではない。

時々過去を振り返ってみることは大切である。我々が失ったものをカオハガン島に見出し、自らの生活を反省してみることも意義あることである。しかし、過去の良い面と現代の悪い面だけを取り上げ、過去の悪い面と現代の良い面を取り上げないのは冷静な判断であるとはいえない。繰り返しになるが、わずか半~1世紀前までは、現在先進国といわれる国々の民衆も、いつ死と向き合わなければならないかもしれないという恐怖の中で、「個人」の人権が平気で無視される社会の中で暮らしてきたのだ。

もちろん現代が失ったものも多くあり、無反省で繁栄と進歩の道を歩み続ければ良いというわけではない。「忙しい生活を送る人間が一度立ち止まり、骨休みをしつつ、さまざまなことを考える場としてカオハガン島を使ってほしい」、そう崎山氏や彼の活動を応援する人々は呼びかけているのだと受けとっておきたい。

島の北西部にのびる砂州(ポントグ)
カオハガン島でもっとも美しい場所と言えるであろう。干潮時には数百mにのびるこの砂州で、風に吹かれながら島の全景を眺めれば、嫌なことはすべて忘れてしまいそうになる。


島を訪れよう!
少しひねくれた見方もしたが、カオハガン島の現状はすばらしいと思うし、その状況をつくりだした崎山氏や協力者の方々には重ねて敬意を表したい。忙しい生活の中で、ともすると節度を見失いがちな現代人に、物欲のみがすべてではないこと、自然との距離がずっと近い生活があること、もっとゆったりとした時間の流れがあることを教えてくれる、貴重な教訓に富む島である。読者諸氏にはぜひ一度、島を訪れてみることをおすすめする。

ぶらぶら猫は残念ながらカオハガン島のような楽園に暮らすことはできない。寒い冬もあり、人々が富と豊かさを求めて懸命に働く日本で、物にかこまれた生活を送らねばならないだろう。しかし、疲れたなと思ったら、どこか南の島でぐうたら猫になって昼寝をするだろう。その候補のひとつに、もちろんカオハガン島再訪も入っている。(終)


●カオハガン島に関する書籍
『何もなくて豊かな島』崎山克彦著、新潮社
『青い鳥の住む島』崎山克彦著、新潮社
『何もない島の豊かな料理』崎山克彦著、角川書店
『南海の小島カオハガン島主の夢のかなえかた』崎山克彦著、講談社
『世界で一番住みたい島』崎山克彦著、熊切圭介写真、PHPエディターズ・グループ
(写真集)『南島からの手紙―風の島カオハガン物語』熊切圭介写真、新潮社
『カオハガン・キルト物語』吉川順子著、文化出版局

●カオハガン島に行くには
オンワード・トラベル
http://www.oln.co.jp/

●カオハガン島関係団体などの連絡先
カオハガン・ジャパン 03-3397-2271
NGO「南の島から」事務局 03-3430-3514

*筆者 藤野優哉(ふじの・ゆうや):元編集者。1999年より1年間、絵描きを目ざしてパリに留学。3月に新宿書房より『ぶらぶら猫のパリ散歩──都市としてのパリの魅力研究』刊行。

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