ぐうたら猫の南の島昼寝

―フィリピン・カオハガン島編―

1.カオハガン島への道

カオハガン島とは?
ぶらぶら猫はぐうたら猫となって、2001年の暮れから2002年正月の休暇を、フィリピンのセブ島近くにあるカオハガン島という小島で過ごした。カオハガン島は、知る人ぞ知る、講談社などで編集の仕事をされていた崎山克彦氏がオーナーの、周囲約2km、約400人の住民が暮らす小島である。

カオハガン島の詳しい特徴や状況については『何もなくて豊かな島』(新潮社)などの崎山氏の数々の著作を読んでいただくこととして、ここでは簡単な紹介にとどめる。


カオハガン島の位置
大小7000あまりの島からなるフィリピン共和国の中央よりやや南、ミンダナオ島の北側にあるリゾート地として有名なセブ島のすぐそばにあるオランゴ環礁を構成する7つの島のうちのひとつで、首都マニラなどで話されているタガロク語とは違うビサヤ語を話す文化圏に属する。オーナーである崎山氏が1987年にセブ島付近をダイビングで訪れた際にガイドの紹介でカオハガン島と「運命的な」出会いを果たし、約1000万円で島を購入。


当時、島には約300人の住民が違法に住み着いていて、氏の知人たちは後々のトラブルを避けるためにも住民たちを追い出してしまった方がよいと忠告したが、氏は住民たちとの共存を選択。文化も違い、経済格差も大きい国から来た「新オーナー」は、カオハガン島民を、いたずらに刺激することはせず、彼らが守ってきた生活習慣を尊重しつつ、公衆衛生や教育など、住民の生活改善に協力できることはすすめ、住民から「サキ」の愛称で呼ばれて慕われるほど、両者はとてもよい関係を築いている。

いっぽうで、崎山氏自身がカオハガン島に移り住むきっかけともなった、日本を含む欧米型資本主義経済の物質万能主義的生き方に対する疑問と問いかけは、日本の多くの人々の賛同と共感を得、若い人を中心に結成された組織「南の島から」を中心として、日本に住む我々の生活スタイルや価値観への反省と再考を促すこととなった。

このように生活水準も価値観も異なる両国の人々が、相互に影響し合うという、一風変わった島なのである。

崎山氏は、この島にロッジを設けて、会員および一般の人々を宿泊客として受け入れており、今回ぶらぶら猫は一般宿泊客として、新年を迎える7泊をこの島で過ごした。

カオハガン島とぶらぶら猫の出会い
カオハガン島を訪れた人間、あるいは島の名を知っている人間の多くが、崎山氏の著作や雑誌の連載などで知ったという。ぶらぶら猫も例外ではない。年に数少ない長期休暇である正月休みを、寒さの苦手なぶらぶら猫と細君はどこかあたたかい南の島で過ごしたいと候補地を探していたところ、細君が崎山氏の著作『世界で一番住みたい島』(PHPエディターズ・グループ)を見つけてきた。この本の中では、美しい島の様子が、長年カオハガン島の写真を撮り続けておられる写真家の熊切圭介氏のきれいな写真ととも紹介されており、我々はすぐにこの島に魅了された。かなり天の邪鬼なところのある我々は、ただのリゾート地ではつまらない、ちょっと変わった場所が良いと思っていたので、宿泊施設としては一風変わった性格を持つカオハガン島という島に大いに興味を持ったのだ。さっそく島の宿泊手配の窓口となっているオンワード・トラベルさんに予約を入れた。7月末のことであった。

ところが宿の方は問題無く予約できたが、同時にお願いしたセブ島までの航空券が既にキャンセル待ちであるという。例年のように年末までにはキャンセルが出るであろうと楽観的な気持ちで待っていたが、待てどもオンワードさんからチケットが取れたという連絡はない。しかも、9月11日のアメリカ同時多発テロの影響による海外旅行者の激減や、フィリピンに外務省による危険度2「観光旅行延期勧告」が出されて、フィリピン航空は減便を余儀なくされているという報道を聞きながらだ。一度は目的地の変更も考えたが、フィリピン航空に直接電話を入れ、予定の日を2日早めることで、なんとか航空券を獲得して、カオハガン島へと向かうことになった。

カオハガン島全景
東半分は島民の多く住む村で、宿泊施設はおもに西半分にある。


不安な空港到着
出発日の12月26日、ガラガラの成田空港を、これまたガラガラのフィリピン航空PR433便に乗って日本を後にした。「南の島から」事務局長の加瀬さんから、フィリピン航空の予約を取るのが難しいのは、観光客よりも帰省するフィリピン人が多いからだと聞かされたが、実際、そういう人たちが多いようにみえた。

今回の旅行では空港と島の間の送迎をお願いしてあったので、ガイドブックに目を通すこともなく(島のガイドブックは崎山氏の著作に優るものはない)セブ空港に到着した。ところが飛行機が予定より少し早く着き過ぎたために島からの迎えの人間が間に合わず、ホテルやタクシーの客引きに取り巻かれながら待たなければならなかった。差別的発言と取られないことを祈るが、いつもながら日本よりもはるかに貧しい国を訪れた時のこうした面倒くささは、あまり好きになれるものではない。

ようやく島の若者が到着し、「タクシー」に乗り込む。崎山氏の著作を読んだ人間ならば皆そうだと思うが、本の中に出てくる、あの「監獄のような」荷台のついたトラックが来るものとばかり思っていたから、普通のセダンでやってきた若者が本当に島の迎えなのか安心できずに、道中、本で読んだ知識を駆使して、「今、島には何人の日本人がいるのか?」「崎山さんはいい人か?」など、島について幾つか質問しながら、少しずつ不安を解いていく。途中、大勢の人間が乗り込んでいる、派手なトラックを改造したバスに何度かすれ違い、「ああ、アジアの町に来たのだな」と久しぶりの開発途上国訪問に思う。ちなみにくだんの「監獄トラック」は既に「引退」したとのことである。

やがて、車は真っ暗な電灯ひとつない道に入り込む。「やっぱり怪しい車に乗ってしまったか?」と思うのもつかの間、我々は舟の待つホテルへと到着した。

崎山氏の船「アミハンII号」
セブあたりの海で使われている船は、安定を保つための竹製の腕木がついた特徴的な形をしている。白いスマートな船体が、南国のエメラルド・グリーンの海に映えて美しい。崎山氏の『何も無くて豊かな島』によると、エンジン付きのものをパム・ボート、より小さなエンジンなしのものをサカヤンと呼ぶらしい。ぶらぶら猫がカオハガン島を訪れた時、崎山氏の新しい船アミハンII号が完成したばかりであった。


パムボートに乗って
崎山氏がカオハガン島と空港のあるマクタン島を往復する舟の発着場として使わせてもらっているという、海岸に建つホテルの更衣室は、隣接するトイレのアンモニア臭がただよう、お世辞にもきれいとはいえないもので不安を抱かせた。出迎えの島の若者が「キタナイ、キタナイ」を連発しているところをみると、多くの日本人がここで顔をしかめるのかもしれない。しかし、海岸に待ち受けていた噂のパムボート(セブあたりの海で使われている小型の舟。左右に竹の腕木をもつスマートな船体が印象的)に乗り込んだ後は、少し肌寒いくらいの南国の冬の空気の中を、ものの30分ほどで目的地であるカオハガン島にたどり着くことができた。

海の中を歩かなければならないかもしれないから短パンに着替えるように言われていたが、拍子抜けするほど簡単に島上陸を果たせたのだ。

行きはこのように何の苦もなく島へ渡ることができたのであるが、帰りは少し大変な思いをすることになる。潮の高いうちに出発しなければならないために朝3時起床なのはいいとして、サカヤンと呼ばれるエンジンのつかない小さな船で島を離れ、沖合いに停泊する大きな舟(崎山氏所有の島で一番大きな舟「アミハンII号」に乗り換え、マクタン島近くまで来たところで、またサカヤンで移動。そして最後は舟を降りて、海中を歩いて岸まで辿りつかなければならなかった。アミハンII号に乗り移る際に運悪く雨にたたられ、おかげで完成したばかりだというアミハンII号のクルージングは、優雅な航海とはいかず、寒さにぶるぶると震えながらの、まるで難民船の航海のようになってしまった。それでも、島に来る途中で船のスクリューが壊れて漂流したという人もいるらしいから、これなど困難のうちには入らないのかもしれない。いずれにせよ、交通機関のバッチリ整備されたリゾート地とは趣を異にした、野趣あふれる、今となっては楽しい経験をすることができた。

初代アミハン号
島北側の、ぶらぶら猫らが上陸した地点には、初代アミハン号が陸揚げされてあった。ちなみに「アミハン」とはこの島に吹く冬の北東季節風のことで、夏に南西から吹く季節風はハバガットと呼ばれるそうである。


カオハガン上陸
島の北岸に上陸したぶらぶら猫らは、母屋に案内される。飛行機の空港到着が19時30分頃だったから、既に21時くらいにはなっていたであろう。島の夕食時間は18時30分からだから、他の宿泊客は既に食事を終えて談笑している最中であった。遅い時間の到着なので食事はどうなることだろうと心配していたが、ちゃんと用意してくれていた。なにしろレストランなど存在しない島のことである。3度の食事については、すべてスタッフの方々にお任せするよりない。

食事を終えた後、少し湿り気を含んだ心地よい南国の風に吹かれながら眠りについた…と書きたいところだが、海岸から吹きつける突風に震えながら寝たというのが本当であった。

宿泊用ロッジA~D
現地スタイルのロッジ。ぶらぶら猫は一番手前のロッジDに泊まった。風通しがよく、島の北岸に建ち、冬の北東からの季節風アミハンをまともに受けるため、夜はけっこう寒かった。その後の便りで大嵐によりこれらのロッジがすべて吹きとばされてしまったという話を聞いたが、再建されたであろうか?


●カオハガン島に関する書籍
『何もなくて豊かな島』崎山克彦著、新潮社
『青い鳥の住む島』崎山克彦著、新潮社
『何もない島の豊かな料理』崎山克彦著、角川書店
『南海の小島カオハガン島主の夢のかなえかた』崎山克彦著、講談社
『世界で一番住みたい島』崎山克彦著、熊切圭介写真、PHPエディターズ・グループ
(写真集)『南島からの手紙―風の島カオハガン物語』熊切圭介写真、新潮社
『カオハガン・キルト物語』吉川順子著、文化出版局

●カオハガン島に行くには
オンワード・トラベル:http://www.wit-japan.co.jp/onward-t.htm

●カオハガン島関係団体などの連絡先
カオハガン・ジャパン 03-3397-2271
NGO「南の島から」事務局 03-3430-3514

*筆者 藤野優哉(ふじの・ゆうや):元編集者。1999年より1年間、絵描きを目ざしてパリに留学。3月に新宿書房より『ぶらぶら猫のパリ散歩──都市としてのパリの魅力研究』刊行。

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