(6)「愛蘭に起れる事件」のその後
[2010/10/5]

 今回見つかった資料は、石田荷造の死亡証明書についての外務省から函館区役所への連絡で終わっている。イギリス当局が発給した死亡証明書に名前がSanotic Konishi (26 years) と記載されているのは本人が現地でそう自称していたからであり、遺族から死亡届が出た際には事情をくんで受理してほしいと書かれている。

 日本で知られないままアイルランドで長く語り継がれてきた日本人Sanotic Konishi。その人物像の輪郭がようやく見えてきた。

 しかし、まだまだ謎はつきない。

 旅のルートはロンドン総領事が言うようにアラスカ、カナダ、アメリカ経由だったとして、しかし、その旅の起点はどこだったのだろうか?  函館から直接旅発ったのだろうか?  函館から北へ向かうルートが開けていたのだろうか? それとも東京でしばらく暮らした後に横浜から長い東回りの旅に乗り出したのだろうか?

 アメリカにどのくらいいて、どこで何をしていたのだろう?  訪ねたはずの在米の兄市造はどこにいたのか?

 雇い主のジョーンズ氏との接点はどこにあったのか?  なぜ、様々な変名を用いたのか? …….

 ロンドンからの最後の連絡は、12月19日出航の日本郵船三島丸で小西の遺品のスーツケースなどを父啓蔵宛てに発送すると書いている。もしもその遺品がいまもどこかに残っているなら、いくつもの謎を解き明かす鍵になるはずなのだが。

 アイルランド側では今回Sanotic Konishiの本名が明らかになったことを受けて、2013年の没後100周年を機に墓碑に本名を記そうという動きも起きている。