(28)理想の死に方
[2005/7/9]

 『文藝春秋』誌で、<理想の死に方>という特集があったらしい。58名の著名人が文を寄せていて、それをコピーしたものを、日頃お世話になっているお医者様が下さった。読後の感想がほしいとおっしゃる。何かの参考になさるのだろうか。アンケートの対象に入ったのは、私が高齢であることの外に、今まで何度か大病を患ってきたからなのだろうと納得した。

 近年、友人たちの訃報が続く。<理想の死に方>というのは、関心のあるテーマである。各々の文章を興味深く読んだ。

 バタンキューがいいというのは、私もそう思うけれど果してうまくいくかどうか。無理な延命をしないというのは選択できることなので、私もお願いしたいと思う。

 白洲正子さんは、自分で電話して救急車を呼び、待っている間に好きなものを食べ、入院後間もなく他界されたという。その一週間ほど前には、親しい人を自宅に招き、お別れの酒宴をしておられたとか。こんな見事な死に方は、でも、誰にでも真似できることではない。

 死の準備ができるから、がんで死ぬのがいいという言葉は心に残った。いわれてみると、たしかにそうなのである。

 家で死にたい。病院で死にたい。二通りの考え方があった。在宅は迷惑がかかるだろう。雑念と無縁である病院を、やはり私は望みたい。

 私が最初にがんの告知を受けたのは15年前のことになる。大体何の疑いがあって検査を受けているかはわかるもので、それを告げられた時は、「あ、やっぱり──」という思いであった。それであっさり帰ろうとしたら、主治医はあわててひきとめて下さった。私がショックを受けたのではと心配されたのだ。今後の見通しに希望がもてることを説明してもらった。

 手術を受ける前には、当然、自分の死について考える。そのとき一番落ち着けたのは、誰もが死ぬということだった。そして死ぬにしても、戦国時代のようにハリツケになるわけではないから幸せだと思うことにした。

 そんなふうに、割合悟った気持ちで、状況を受け入れていたはずであったが、回復してから美容院に行ったところ、「何か心配事がおありでしたか?後頭部に円形ハゲが出来ていますよ」といわれてしまった。

 私は幼稚園児のとき、ジフテリアにかかって死にかけたことがある。母はおろおろして「助かるでしょうか」といい、お医者様は、壁の時計を指差して、「あそこまで保てば、血清注射が効いて助かるでしょう」といわれた。その会話の意味がわかっていたのだが、私は安らかな気持で聞いていた。あとから思うと、呼吸困難で弱っていたから、静かで安らかであっただけなのかもしれない。しかし、その時の気持は覚えていて、死ぬときには、ジタバタせず、安らかであるだろうと希望がもてるのである。

 私は信仰がないので、死後の世界はわからない。なにも無いのが死と思える。しかし人間心でふと思い描いてみることはある。なつかしい死者たちが、違った形で存在するのではないかと。

 何人かの人が、葬式も戒名もなしということを書いておられた。墓は不要で骨は海に流すとか。その方が好ましいと思うが、あとに残る者に、かえって負担をかけるのではないだろうか。

 身内だけに見送られ、あとから通知を出してもらう。「皆さまのおかげでいい一生を送ることが出来ました。安らかに旅立ちました…」と葉書に印刷して。

 まわりの者に重いものを残したくない。つまりあの人は勝手もんで、何やら楽しく生きていたみたいやから、あれはあれでいいやないのと思われたい。そしていつのまにやら、自然に忘れられる……。

 これが私にとっての理想の死に方だ。