Vol.51 [2003/05/08]
四谷三栄町耳袋(17)
若葉が萌える時期となった。熊野の宇江敏勝さんのお宅のまわりの山はどんなぐあいだろう。3月8日に 宇江さんのお宅で東京から何人かの編集者が集まって、小さな宴会を開いた。翌日宇江さんの山に記念植樹をした。私はモクレン。5年後、10年後の楽しみができた。(『論座』2003年5月号、宇江「熊野、春の設計」参照)
6年後には「第2期 宇江敏勝の本」(全6巻)が完結していなくてはいけない。この5月下旬には、今度はお酒なしの編集会議を熊野でするつもりです。
さて、これから紹介するのは、旭川在住の小児科医(正確には数年前に退職されている元お医者さん)の佐竹良夫さんの文章です。佐竹さんにお許しをえて、その一部を再掲載します。
この文章は、佐竹さんの「ペルージアの菩提樹 熊野の彼岸花」と題された手作りの文集の一部です。いままでたくさんの文集を出されていて、数年まえから時々送って下さる方。まだお会いしたことがないのですが、別の文集には「編集者・誤訳・バカ訳」という文章もあって、編集者の能力低下をなげき、欠陥翻訳に怒っています。私もいつ、葉書の爆弾で攻撃されるか、ヒヤヒヤしています。
でも、愛用の椅子に身を沈め、音楽と愛犬と自然に囲まれ、帰りたくなるすばらしい家をもっている佐竹さんが、ほんとうに羨ましいと思う。こういう読者が10人、100人といて、この国の出版文化を見守って(監視して)くれる限り、活字文化は続く。
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熊野の神秘と山里文化 佐竹良夫
宇江敏勝の本 第一期 全六巻 新宿書房
1森をゆく旅
2炭焼日記
3山びとの動物誌
4山に棲むなり
5樹木と生きる
6若葉は萌えて
石橋睦美 写真集 神々の大地 新潮社
宇江敏勝は熊野の山村で若いときから林業のさまざまな仕事に従事し、肉体を酷使する重労働をやりながら、みずからの仕事や山里の文化、動植物、自然などを書きつづけてきた作家である。粗末な山の作業小屋の、大部屋の片隅に小さな机をおき、激しい労働で疲れた肉体に焼酎で活を入れ、同僚が寝静まった深夜にペンを走らせてきたのだ。
林業従事者としてのカリーアは長く、何百年、いや千年以上もつづいてきた林業文化、山里文化の生き字引といってよい。だから机上の知識ではなく、経験に裏づけられた文章は説得力があり、リアルだ。語られる山の生活は実に具体的であり、ひとつひとつの仕事が手にとるように分かる。飾らない文章で綴る熊野の自然の描写は、たとえようもなく美しく、ヘルマン・ヘッセやハンス・カロッサを彷彿させると感じたほどだ。
読みながら幾度となく、熊野の山懐ふかくに分けいってみたいと思った。そして、宇江さんたちにまじって林業の労働に従事したいと思った。このやわで堕落した肉体では一日と持つまいが。知的労働などというとかっこいいけれど、からだを動かす肉体労働にこそ、働く喜びがあると宇江敏勝の作品は教えてくれるのだ。
仕事は毎日ひとくぎりがつき、目に見える形の成果を残して毎夕完結する。肉体は疲労しきっていても、労働の満足感を胸に、仲間と語らいながら、空腹のからだに摂る酒や夕食は、どんなに美味であろうか。同じ肉体労働者でも、チャップリンの『モダン・タイムズ』の都市労働者には味わうことができない喜びだ。
安易な外材の輸入がわが国の林業に壊滅的な打撃を与えたことは、いまさらいうまでもない。その害は森林の荒廃というハードの害よりも林業従事者の減少・高齢化や林業文化の消滅といったソフト面の打撃の方がはるかに大きいと思う。宇江敏勝の作品を消えゆく山里文化への挽歌として読むと、とても悲しいが、消えゆく文化や自然や山暮らしの知恵を、ここまでよくぞ丹念に美しく記録してくださったと考えると、すこしは哀しみが癒える心地がする。
文章を読みながら想像をかきたてるのは楽しいが、貴重な文化遺産の記録には、映像もほしいと思いながら読んでいたら、最後の第六巻には、モノクロームながら写真が載っており、やはり写真の威力は大きい。作業小屋の様子や作業をする現場が一目瞭然だ。もっと写真や説明図がほしい。
この巻には労働の収支決算の表も記載されており、興味ぶかい。これによると、昭和四十年代はじめの熊野の林業従事者の収入はけっこうよかったことがわかる。昭和四十二年十一月の宇江敏勝さんの諸控除や積立金を差し引かない粗収入は110,540円である。これを日当1,700円として27日分46,670円をとりあえず支給し、積立金は年二回のボーナスとして支給するしくみなのだ。日当1,700円としても悪くはない。小生が医者になった昭和三十八年四月に、大学から先輩の学会留守番に出張させられた病院で支給された日当は1,300円だった。
第一期というからには、第二期も出版されるのだろう。一日も早く次作品を読みたいものだ。
残念ながら熊野には旅したことがない。若いとき和歌山県には行ったが、春三月、大阪の天王寺駅を深夜に発って鉄道で海岸線を三重県へぬけ、途中、瀞八丁へ遊んだだけだ。夜が明けると、沿線には桃の花が咲きみだれ、車窓から手がとどきそうなほど間近に、蜜柑がたわわに実っていた。山深い熊野の自然には、なにか神々しい、神秘的なイメイジがある。
石橋睦美の写真集は、その神々しい熊野の自然をよくとらえている。とても美しい。霧にかすむ森は神秘的で、朱に染まる、朝焼けの山並みは神々しい。雨にぬれた神社への石畳はすり減って、遥かな時の流れを感じさせる。山の斜面をおおった彼岸花の赤が鮮やかで、朝日にきらめく熊野灘の海面はまばゆいばかりだ。山里の満開の桜はのどかだが、夕暮れの熊野川のほとりに、ひっそりと一本だけ花ひらく桜には妖
気が漂う。
手つかずの自然がまだ豊かに残っているようだが、写真に写っていないところに、安っぽい二十世紀文明による自然の不可逆性の破壊が及んでいるのではないかと恐れる。熊野の自然とともに、山里のゆたかな文化が、もう一度再生することは、かなわぬ夢なのだろうか。
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