Vol.47 [2002/11/17]

四谷三栄町耳袋(16)

『神戸新聞』11月4日 コラム「正平調」より

神戸にも縁の深い山の作家、宇江敏勝さんの著作集が、東京の出版社・新宿書房から出ている。その第1期分にあたる全6巻が『若葉は萌(も)えて-山林労働者の日記』で完結した。

六十歳代の半ばに達した宇江さんは、熊野古道に近い和歌山県の山里に居を構えている。少年時代に父の炭焼きを手伝い、渡り歩いた紀州の山にそのまま腰を据えた。ごく最近まで山仕事が生業で、そのかたわら文筆をとっていた。生活のための植林や土木作業を記した日記風の作品は、巧まずして貴重な民族資料となった。

文芸誌『VIKING』の同人である宇江さんは、かつて都会暮らしの小説家を夢見たこともある。しかし、ついに山を離れなかった。山の空気が肌に染みついていた。そこからだと、社会がよく見えた。消えゆく運命にある山人の暮らしの記録に、作家生活をかけた。

一人前の山林労働者になるには、時間がかかる。最初は「労働生活にとって必要な気持の張りや、あるいは堅い芯(しん)のようなものが、私の内部にはまだ結実していなかった」と述懐する。やがて、働き手としての自信が宿って「首太く胸板厚い山賤(やまがつ)になりおおせた」と書く。

高度成長に浮かれる下界に比べて、わずかな稼ぎだった。豊かな自然に心は慰められたが、あくまで労働は厳しい。「エコロジー」も「アウトドア」もない、自然との格闘だ。

原初の営みの充足を忘れかけている現代人に、宇江さんの記録は力強く語りかける。たくましく、おおらかに生きよ、と。山に入りたくなってきた。

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*『神戸新聞』および同社の伊良子序さんのご了解をへて、転載します。
宇江敏勝の本」第1期全6巻完結をうけて、小さな刊行案内をつくりました。ご希望の方は小社までご請求下さい。

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