vol.36
四谷三栄町耳袋(11) [2002/3/6]
おおくぼ
「このまちの未来を考える 多文化コミュニケーション情報紙」をサブタイトルにした地域雑誌『おおくぼ』のバックナンバーが、先日知り合いになったばかりのFさんから送られてきた。
Fさんは「外国人とともに住む新宿区まちづくり懇談会」(略称「共住懇」〈きょうじゅうこん〉)のメンバー。共住懇は、東京の中でも突出した外国人集住地域である新宿区の大久保・百人町地区を活動拠点にして、外国人と共生するまちづくりを提案し、問題の解決をはかってきた。
発足は1992年4月。情報誌『おおくぼ』の創刊準備号は1999年8月に発行、現在12号(2002年1月)までが発行されている。2001年1月に駅で転落した乗客を救おうとして韓国人留学生と日本人カメラマンの2人が犠牲になった事件は記憶にあたらしい。その事件はこのまちの新大久保駅で起きたのだ。
共住懇
新宿区百人町1-3-17-4F 電話03-5285-1588
http://www.root.or.jp/kyojukon
高麗博物館(2001年12月8日オープン)
新宿区大久保1-12-1第二韓国広場ビル2F 電話03-5272-3510
http://business1.plala.or.jp/kourai
ニホンミツバチの文化誌
ユニークな特集を組んでいる雑誌『自然と文化』(日本ナショナルトラスト+日本観光協会発行)の67号。今回の特集は「ニホンミツバチの文化誌」。このなかで、宇江敏勝さんが 「山蜜を飼う翁」という一文を寄せている。
熊野地方は古くから日本屈指の養蜂地帯として知られていたそうだ。温暖な気候と豊かで複雑な植生による広大な森が野生の蜜蜂をはぐくんできた。なかでも古座川の蜜はとくに有名で、明治から大正にかけて東京の三越百貨店で売られていたという。宇江さんの夢は山のなかで山蜜を飼う翁となることだ。
この『自然と文化』で毎号楽しみにしている連載がある。それは飴細工師の坂入尚文さんの「仮設の間道」。坂入さんは芸大をでた彫刻家だったが、いまは全国をまわるテキヤの飴細工師だ。彼の絵とタンカの文体(デザイン=杉浦康平+佐藤篤司)がなんともいい味。
『自然と文化』編集部
千代田区丸の内3-4-1 新国際ビル810 電話03-3214-2631
日記をつける
岩波書店の新しい新書「岩波アクティブ新書」の16が荒川洋治さんの『日記をつける』。 日記をつける楽しみをさまざまな本から紹介する日記入門。
この中で、荒川さんは長見義三の『色丹島記』を紹介している。「そのために、そのときのための文章が、日記のなかにすでに用意されているのである。つまりこの日記は文体を意識しているのだ。(中略)作品を意識したように見えるのに、たくらみが感じられない。その文章はきれいな印象を与える。」
三里塚アンドソイル
福田克彦 映像作家。1943年東京生まれ。69年小川プロダクションのスタッフとして三里塚に入る。78年独立「草とり草子」など三里塚ノート・フィルムを撮りつづける。98年脳幹部出血のため成田日赤病院にて逝去。享年54。(『三里塚アンドソイル』平原社、2000、の帯文より)
1993年から執筆をはじめ、97年に書き溜めた原稿の再構成をしながらタイトルを「三里塚アンドソイル」に決めたという本書は1400枚の大作ながら未完に終わっている。46判、824ページ。本体4850円。
『みすず』490号、2002年1月号の「2001年の読書アンケート」で何人かの人が本書のことをとりあげていたので、ずっと気になっていた。先日この本の組版をやったクレインの文さんに頼んでようやく平原社から買ってきてもらった。クレインはエドワード・サイードの『ペンと剣』などを刊行しているれっきとした出版社だが、余技として組版をしている。(出版社のアルバイトについて言えば、おなじ『みすず』1月号に坪内祐三が小沢書店の倒産にからんで、ルポライターの佐野眞一の仕事ぶりに大激怒しているのが無類に傑作なのだが、ここでは紹介できない。興味ある方は読んでほしい)
福田克彦は1975年(32歳)、小川プロの山形移住の先遣隊として上山市牧野の農業詩人、木村迪夫さんの隣りの家に移るが、78年小川プロをはなれ、三里塚に戻る。
本はまだ読みきれない。でもどうしても東中野でやっている映画『Devotion―小川紳介と生きた人々』を見たくなり、レイトショーに出かける。
アメリカのレズビアン・フェミニスト映像作家、バーバラ・ハマーの作品である。「18本の映画を残しただけでなく、1億円の借金も残し」た「小川紳介と小川プロダクションの活動を今日的視点から探ることにより、〈映画製作の不条理性〉〈共同体と個人の関係のあり方〉〈女性の自立〉などのテーマを提示し、その真実に迫った意欲的なドキュメンタリー」
(カタログより)だそうだ。
題名が語るように、最初から答えはでていて、これをなぞるような映画だが、結局なにも語られていない映画だ。連合赤軍(母性)とオウム(父性)の巨大な雲の影から逃れられない発想。製作者たちはそこから一歩も動こうとしない。キャッチフレーズもいただけない。25年で18本の映画、たった1億円の借金がなんだというのだ(わたしは、ここでなぜだか大いに力む)。
そしてほんとうに映画として変なのは、小川プロ最大のスタッフである田村正毅カメラマンが証言に一切応じていないし、小川プロを迎え入れた木村迪夫さんもインタビューを拒否(本人談)していることだ。
会場で売っていた本、『小川紳介を語る――あるドキュメンタリー監督の軌跡』(1992年、発行=映画新聞、発売=フィルムアート社)。小川紳介が亡くなった1992年の5月に行われた全作品上映会での講演記録を中心に編集された本だ(造本=鈴木一誌)。
そのなかの蓮見重彦の「キャメラの向こう側に身を置いた瞬間、小川紳介は人間であることを止めた。」というタイトルの文章が、映画を見たあとに胸に突き刺さる。小川紳介は人間でない、映画作家なのだ。優れた映画作家は、映画を撮るときに人間とはわかれる。
人間主義(あるいはフェミニズム)に立ったこの映画のアプローチでは、どんなに小川個人や小川プロの内幕を暴いても、小川の映画にはとどかない。芸術家の工房の世界とはそういうものだ。そこには個の自立した関係などはない。どこにも小天皇や暴君や暴姫がいる。そこいるのは一人のアーティストだけだ。弟子たちは無名でみえない存在だ。
おかしかったのは、ハマーが、創造社や大島プロという映画結社内でさんざん小スターリンを演じ、帝王の振る舞いをしてきた大島渚のロングインタビューをつかっていることだ。黒澤明の黒澤プロ、新藤兼人の近代映協。彼らの作品を映画製作での“不条理性”で語る愚はだれもしないだろう。ベルイマンと女優との関係もそうだろう。
さて、最後にどうしても言っておきたいことがある。映画の上映場で販売されていたカタログ(800円)のことである。この映画のプロデューサーや監督(この場合、バーバラ・ハマーが兼任)、作品に対して、登場する筆者がことごとくこれほど否定的な文を寄せたカタログは見たことがない。
新聞、雑誌での映画批評はなにを書こうといい。しかし、製作者側、配給サイドが上映場で販売するカタログには、なにもここでオベンチャラを並べる必要はないが、まず作家、作品への尊敬が必要だ。これは最低の礼儀。ハマーの映画手法、アプローチにはわたしも疑問だが、このカタログの編集方針にはあきれるばかりだ。これではハマーがあまりにもかわいそうだ。
配給だけでなく、製作にも深くかかわった人々が作ったカタログだけに、信じがたい。われわれだって、発売時にとうに愛情が冷めてしまった本でも(長い春のあとの結婚のようなもの)、著者の悪口を並べた帯を巻いて売ることなんか、絶対にしない。
むしろ、カタログ編集者がやるべきだったのは、ダラダラした対談などはカットして、ハマーが、小川の映画手法や文脈を無視して、切り刻んで随所に引用した小川の映画の出典を場面ごとに丁寧に記録することだったのではないだろうか。それが、小川紳介や小川プロを通過していったすべての人々(の仕事)へのほんとうのトリビュートになる。
映像作家の福田克彦さんは、小さな酒蔵を訪ね歩いた『自然流日本酒読本』(写真・北井一夫、農文協、1992)という本も書いている。その本が出てからだと思う、『酒文化研究』の文化講演会で一度お会いしたことがあった。人なつっこい静かな方だった。
平原社
千代田区神田司町2-15 電話03-3219-5861
クレイン
新宿区若葉1-10-5・C 電話03-3358-5080
小川プロダクション
http://www01.u-page.so-net.ne.jp/ta2/hiro/tosiohome/7.html
Devotion
http://www.pan-dora.co.jp/devotion/
山形国際ドキュメンタリー映画祭
http://www.city.yamagata.yamagata.jp/yidff/catalog/99/jp/01/001.html
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